吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

マイ・バック・ページ

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 夢の中の幻を見ているような懐かしさがにじみ出る画面だと思っていたら、16ミリフィルムで撮影したものを35ミリに引き伸ばして上映しているのだということを知ってなるほどと思う。細部が際立たない撮影は、<あの頃>の雰囲気を柔らかに再現する。


 川本三郎の原作は1988年に単行本が出版されている。1971年の自衛官殺害事件を若い監督たちがなぜ今さら映画にするのか、当初わたしにはその意図がつかめなかった。若松孝二連合赤軍事件を描くのとはわけが違う。若松の「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」はリアリズムに懲りすぎて、ひたすら怖くて不快だった。それにひきかえ、山下敦弘(のぶひろ)監督・向井康介脚本・ 近藤龍人撮影の大阪芸大組の仕事は、あの時代の熱狂を淡々と描く。あまりにも淡々としていて、日比谷野外音楽堂で開かれた全国全共闘結成集会(1970.9.5)の熱気がまったく伝わってこない。27000人も集まったというのに、映画ではその舞台の裏手に追い出されたあるいは会場から溢れた数十人のヘルメット学生を映すのみ。この映画、小道具には凝っていてあの時代の雰囲気をよく再現したものだと感心するのに、運動の熱気や狂気には関心がないのか、その点は冷淡といえるほどの扱い。


 つまり製作者たちは学生運動の再現を目論んだわけでも熱気を伝えたかったわけでもない。祭りの後の青春の蹉跌を、淡々と抑制の効いた演出で現代に投げかけたのである。その映画作りには好感を持った。好感を持ったが、原作を読んでいるわたしなら話の繋がりも、すべて仮名で登場する人物たちの本名も知っているし、事実と当てはめながら鑑賞できるのだが、何も知らない現代の若者がこれを見て理解できるのだろうかと心配になった。

 
 「赤衛軍」を名乗る新左翼組織の若者が起こした自衛官殺害事件というテロにかかわった、当時27歳の朝日ジャーナル記者川本三郎は、新左翼運動に肩入れする余り、報道の自由と犯人隠匿の罪との秤のかけ方を間違った。川本三郎は自分が早く生まれすぎて全共闘運動に参加することのできなかった悔しさを、そして自分とほぼ同世代の若者たちの変革への志に共感した熱血を、素直に行動に移しただけだったのだが、そのあまりにナイーブな正義感が結局川本の逮捕・失職へと繋がる。当時、新左翼運動を応援する記事を出し続けて人気を博した『朝日ジャーナル』も、運動の凋落とともに編集方針を変更していた。時代の雰囲気と言うものは恐るべしで、今なら考えられないことだが、東大全共闘議長で当時地下に潜っていた山本義隆を、タクシー代わりに全国全共闘結成集会の場まで車で運ぶという役目を大新聞の記者が担ったのである。そんな時代だった。そして川本は時代の雰囲気が変化するのを読み取れなかった、あるいは、その変化を頑として受け入れなかったのである。


 「情報源の秘匿」というジャーナリストの鉄則を最後まで貫いた川本は、警察の執拗な尋問にも決して犯人K(映画では片桐優)の身元を明かさなかったために、警察に逮捕され、朝日新聞社を解雇される。わたしがその名前を知ったときには映画評論家だった川本三郎赤衛軍事件=朝霞自衛官殺害事件→京大竹本処分が結びつくとは、『マイ・バックページ』が映画化されるまで知らなかった。映画化の話を知って慌てて原作を読み、川本のノスタルジックな哀感溢れる手記に軽い感動を覚えたのである。
 一方学生時代から、事件の主役Kについては、悪評高い嘘つきで、警察のスパイとも功名にはやった卑劣漢だとも聞かされていたため、先入観を持っていた。この映画ではわたしが主役二人に持つイメージがそのままに演じられていた(本物の川本三郎は妻夫木くんみたいに可愛くないけど)。関西ブントの親分滝田修=竹本信弘(映画では前橋勇)も雰囲気がよく出ていてよかったし、役者がみな70年安保の雰囲気をかもし出していて、実に上手い。1シーンしか登場しない「朝日新聞」(映画では「東都新聞」)社会部長役の三浦友和の貫禄も大したもんで、出番が少ないのに異様に印象に残る。


 川本(映画では沢田雅巳)の内面は本作を見てもわかりにくいのではないか。原作では、ああでもないこうでもないと過去を振り返る川本の忸怩たる思いも後悔も矜持もすべてストレートに伝わってくるのだが(とはいえいくつかの事実についてはオブラートに包んであったり敢えて避けられている)、本作の脚本は主人公沢田の内面を描く台詞を限界までそぎ落としている。ただ唯一、原作にはなかったラストシーンを加えたことで、既に社会人となった一人の若者の青春の終わりを告げる哀愁が痛切に漂っていた。このラストが甘いと思うか、これが今、赤衛軍事件を映画化することの意味だと評価するか、分かれるところか。わたしはこのラストにはぐっと来た。


 男がしっかり泣く映画だという「真夜中のカーボーイ」を猛烈に見たくなった。午前十時の映画祭で見ることにしよう。 

141分、日本、2011
監督: 山下敦弘、製作:青木竹彦ほか、原作: 川本三郎、脚本: 向井康介、撮影: 近藤龍人、音楽: ミト、きだしゅんすけ
出演: 妻夫木聡松山ケンイチ忽那汐里長塚圭史山内圭哉古舘寛治あがた森魚三浦友和