吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

福島、仙台への旅

 今日で震災から3ヶ月を迎える。いまだに行方不明の方たちは今日を以って死亡を確認されるという。改めて、お亡くなりになった方々のご冥福を祈ります。

 さて、遅くなったけれど、5月20日(金)、21日(土)の二日間、福島市仙台市へプロボノ=図書館ボランティアのために出かけてきたことを書く。既にエル・ライブラリーのブログに4回にわけて書いたので、図書館ボランティアに関する詳細はそちらをご覧いただきたい。

5月19日に夜行バスで出発し、10時間以上かけて福島市へ。
午前中にふれあい歴史館に飛び込みインタビュー。アポなしだったけど、スタッフ全員の親切な応対に感謝。続いて県庁へ。県庁に勤める大学時代の友人(先輩)に会って激励し、大阪で集めた義捐金を渡すことが目的だった。大阪では数日前に旧友たちが集まって宴会し、わたしの福島行の旅費をカンパしてくれた。カンパのうちから15000円を福島県に寄付した(6.15追記:福島県から礼状兼領収書が届きました。カンパしてくださった先輩諸氏、ありがとうございました! 福島県へは6月5日現在、13億円強の義捐金が届いているとのこと)。30年ぶりに会う先輩は髪が白くなっていたけれど、声は変わっていない。震災以来、ほとんど休みなく働き続けて相当に疲れている様子。県庁の職員は全員が「頑張ろう福島」の缶バッチを胸に付けているのを見て一つ欲しいと思い、県庁地下の購買部に行ってみたが、売り切れだった。
 先輩とはお昼御飯を一緒に食べたただけで、仕事中であったこともあり、ゆっくりと話をする時間がとれなかったのは残念だったが、関西の仲間が集まって義捐金を集めたとき書いた寄せ書き色紙を渡すと、とても嬉しそうに受け取ってくれた。「みんな変わってないなぁ」と色紙に貼り付けた写真を見ながら呟く。嬉しい嬉しいと何度も何度も何度も何度も言ってくれた。こちらが励まされる思いだ。

 その後はあわただしくタクシーで県立図書館へ。吉田和紀さんに丁寧なご案内をいただき、聞き取りを終えて隣の県立美術館へ。スタジオジブリのイラスト展はまあまあだったが、それよりも出色は常設展示と特集展示のほうだ。こちらのほうが何倍もよかった。とりわけアンドリュー・ワイエスの絵には釘付けになった。誰も見ていなければ盗んで帰りたいと思うほどの作品の数々。

 ところが、美術館にいる最中に震度4の地震が起きた。最初、どーんという音とともにゆさゆさと揺れ、収まるかと思ったのに収まらず、思わず天井を見上げる。隠れるところがどこにもない。天井が崩れてきたら死ぬしかない。入り口のドアが揺れによって自然に閉まってしまったようで、係員の女性が必死になって押さえて開こうとしている。ああ、どうなるのだろうと思っていたら収まった。この地の人々はこんな恐怖と共存し(慣れて)毎日を暮らしているのだ。それはここに来なければわからないことだ。そのことをまず非被災地の人間は知らねば、と身を以って思う。

 夜は福島大学の熊沢透さんに教えてもらった日本酒が美味しいという「おでん ふた夜の月」を目指して福島駅の周りを徘徊。福島市は県庁所在地なのに町が小さくて、どこが繁華街なのか判然としない。その夜はつきあってもらえる友人知人がいないので独りである。それでなくても恐怖の方向音痴でさらに地図の読めない女なのに大丈夫か、被災地で迷子になって皆さんに迷惑をかけるのでは、などという心配の声をよそに出かけてきたのであるが、予想通り道に迷った。同じところを何度もぐるぐる回ったけれど、目指す店が見つからない。そもそも福島市には住居表示がないのだ。止む無く店に電話をかけたら、「周りに何が見えますか」と尋ねられ、「目の前に●●という店が…」「ああ、そのすぐ前ですよ」。なんだ、店のまん前で、店を背中にして電話をかけていたことが判明。でもね、お店は2階にあって、しかも看板はすっごく小さくて、申し訳程度に貼り出してあるだけなんだもん。ここのお店の人は慎み深いのかしらん、道頓堀あたりのけたたましい看板とはえらい違いだわ。

 二階へ通じる狭い階段を上がり、引き戸を開けるとカウンター10席だけの小さな店。おでんはとても上品な味付け、出汁のきいた薄味で美味。盛り付けにも工夫と気遣いがあり、この店のスタッフは客が喜ぶことをとてもよく知っていると見た。一見琉球ガラスと見まがうような酒器もあり、また備前焼風もあり、土の感触が温かい、器の凝り方にも好感がわく。若くて気さくで美しいママが仕切っていて、カウンターの中は女性ばかり3人が働いていた(実はどの方がママ/店主なのか判然とせず。皆さん若くて綺麗なかたでした)。お店は大繁盛していて、席が空く間がない。
 壁にずらりと並べられた酒瓶が地震のときに落ちてこなかったのか気になったけれど、大丈夫だったのかどうかを聞きそびれた。わたしの好みの酒の味を告げて、さらには「福島のお酒が飲みたい。東北のお酒がいい」と言うと、若くて爽やかな飲兵衛のスタッフ(この方がママさん?)が次々と美味しいお酒を出してきてくださるのが嬉しい。わたしが大阪から来たというと、「福島に行くといったら周りの人たちに反対されませんでしたか」と訊かれた。確かに危ないのだけれど、危ないとわかっていてここから離れられない人々が何十万人何百万人もいる、そのことに思いを馳せたい。

 この日は、ホテルで無料提供されている夕食カレーを食べてから行ったものだから、あまり多くのおでんを賞味できなかったのが残念。次はおなかを空かせて行きたいものだ。

 そこそこにお酒も堪能し、ほろ酔いで店を出ると、件のスタッフ(ママさん?)が店の外まで見送りに出てきてくれて、名刺交換をした。狭い階段で立ち話をしたのだけれど、わたしが図書館員で、実は自分たちも復興途中の図書館員なんだと、だからこそいつも助けてもらってばかりではなく、少しでも被災地に役立つことがあればと思ってやってきたのだと告げた。
 本当にいいお店だったので、次も必ずここに行きたい。

 福島ではどこへいっても原発の話題ばかりで、皆さんすごく原発やら放射性物質について詳しいので驚いた。どこそこでは何ミリシーベルトだとかいう具体的な数字がするすると出てくるし、1,2号機はGE社の設計で3,4号機は国産だとか発電タービンの構造がどうしたとか、やたら技術的な点に詳しい。さらには原発をめぐる利権についても飲み屋で「渡辺恒三」云々という話が聞こえてきた。とにかく関心が高い。当たり前か…。 

 「福島県のためにありがとうございます」と、この一日で何人もの人に何度も言われた。お礼を言われるほどのことはしていない。礼を言われるのは居心地が悪いと同時に、いつも礼を言わねばならないこの地の人々の心持ちを想う。エル・ライブラリーもいつも支援されている。それと同じ。

 翌日は早朝、バスに乗って仙台へ。福島市から仙台までは高速バスで1時間の距離だ。仙台ではまずは宮城県図書館へ、午後に東北学院大学泉キャンパス図書館へ。仙台での様子はエル・ライブラリーのブログをご高覧ください。休日返上で頑張る熊谷慎一郎さん、車で送ってくださった吉植庄栄さん、津波で家が流された庄子隆弘さんのことを書いています。
 考えることはあまりにも多かった旅でした。押しかけボランティアを快く受け入れてくださった皆様に感謝。

 ※福島・宮城での調査報告は、博物館・美術館、図書館、文書館、公民館の被災・救援情報サイト「saveMLAK」に掲載しています。↓
http://savemlak.jp/savemlak/images/0/01/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E3%83%BB%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E8%AA%BF%E6%9F%BB.doc
 最後に、この報告書に書いた感想を再掲します。

 今回は福島市しか訪れていないので、湾岸部の厳しい状況は目の当たりにしていない。福島市内を見るかぎり、建物被害や道路被害もほとんど見当たらず、震災があったとは思えないほどで、阪神淡路大震災のときとの違いを感じた。見えない放射線のほうが怖いと感じる。
 福島の人はみな親切。居酒屋のママと友達になった。
 仙台のみなさんも優しい。東北の人たちのやさしさに触れて、大阪から行った谷合はお助けにいったのか助けられたのかわからないぐらい感動して帰ってきた。と同時にそういう感傷的な気分を吹き飛ばすほど現実は厳しいことも痛感した。

★まとめ感想
 福島も宮城も、非常時にあって図書館員たちが懸命に仕事をされ、オーバーワークとなりながらも前を向いて進んでおられることに感銘を受けました。福島県立図書館、宮城県図書館ともに急な取材申し入れにも関わらず、快く受け入れてくださったことに感謝しています。東北学院大学の庄子さんは自宅が津波で流されてしまったけれど、現場の統括責任者として不休の図書館復旧活動を続けておられます。東北大学の吉植さんには仙台での移動に多大なご協力をいただきました。
 これからはsaveMLAKとして情報支援と同時にプロボノを具体的につないでいく作業が待っていますが、これがそう簡単ではないことも実感しました。あれこれ迷うならまずは自分の足で現地へ行き、自力でアポをとって動く、その際にできるだけMLを通じて仲間を募って一緒に動けばどうか、とも思いました。このあたり、プロボノを担当して下さる細川さんにご苦労いただくことになるかと思いますがよろしくお願いします。