吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

わたしを離さないで

 原作の雰囲気をそのまま映画にしたのであろう。陰鬱な空の色、最初から最後まで静謐が支配する緊張した画面には暗い悲しみが漂う。



 物語の舞台となるのはイギリス、美しい田園風景が広がる中にぽつんとたたずむ寄宿学校である。その寄宿舎には1970年代にキャシー、トミー、ルース、という仲良し三人の少女少年がいた。物語は大人になったキャシーの独白による回想で進む。世間から隔絶された全寮制の寄宿舎では<特別な少年少女>たちが18歳になるまで生活していた。彼等の生活は規律正しく静かで、すべてが清潔に整えられていた。仲良しだった三人はトミーを挟んで三角関係となるが、キャシーは黙って引き下がり、ルースにトミーを譲る。やがて18歳になったかれらは寄宿学校を出て、農村で共同生活を営むようになる。彼等には逃れられない運命が待ち構えていた。やがてそのときが近づく……。



 余りにも美しく重厚な風景が三人の悲しみをいや増す。寄宿学校の校長役でシャーロット・ランプリングが登場。その威厳に満ちたまなざしが大変印象的だ。ルース役のキーラ・ナイトレイは劣化が激しい。「ラブ・アクチュアリ」の時のあの美しさはどこへいったのだろう。



<以下、かなりネタばれ>




 

 この映画はSF仕立てなのだが、SFの仕掛けよりも、ここで描かれる社会の成り立ちや死生観こそがキーとなる。唯々諾々として運命を受け入れるキャリー・マリガンの愛らしく悲しく静かな眼差しは東洋的な神秘に満ちているとさえ思えるほどに、この物語全体に流れる思想は仏教的だ。運命に逆らわない、闘わない、すべてを静かに受け入れるその生き方は、不可思議だ。しかも、不自然に長寿を得る人々の犠牲になるために、彼らは存在する。生まれた時から「他者」のためにのみ生きることを義務付けられる、究極の自己犠牲と献身だけが人生の目的とは、いかなる意味のある「生」なのだろう。その歪んだ生をただ受身に引き受けるだけの彼らが矮小な存在に見えてくるのはなんという皮肉だろう。同情を通り越して哀れを通り越して虫けらのようにさえ思えてくる。とりわけ、トミーたちが延命嘆願のために懸命に絵を描いて「審査員」のもとに持参する場面の哀れさはどう。



 振り返れば、わたしたち自身も実はこのような社会に生きていることに思い至るはず。かつて女性たちいはただひたすら家族の犠牲になるだけであった。それが当たり前の社会だったのだ。今もおそらく、女性に限らず、家庭や職場やさまざまなコミュニティの中で、このようにひたすら耐え忍んで犠牲になっている人々がいるはず。そのことに誰も疑問をさしはさまない。


 そんな、自己犠牲の哀れさに静かな悲しみと切なさと、そして心の奥底にうごめく怒りが静かに湧き上がった悲しい映画。こういう映画をアメリカ人ならどう見るだろう、と思うし、今の日本の若者はどう見るだろう、といっそう好奇心をそそられる(もちろん、個々人の感性は異なるので、ここでは類型的な言い方をした)。

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NEVER LET ME GO
105分、イギリス/アメリカ、2010
監督: マーク・ロマネク、製作: アンドリュー・マクドナルド、アロン・ライヒ、製作総指揮: アレックス・ガーランドカズオ・イシグロ、テッサ・ロス、原作: カズオ・イシグロ、脚本: アレックス・ガーランド、撮影: アダム・キンメル音楽: レイチェル・ポートマン
出演: キャリー・マリガンアンドリュー・ガーフィールドキーラ・ナイトレイシャーロット・ランプリング