吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

ソーシャル・ネットワーク

 脚本のお手本のような作品。冒頭からしゃべりまくる。主人公マーク・ザッカーバーグがガールフレンドとデートの最中の会話。とにかくマークは相手のことなどかまわず、自分の興味関心のあることだけをまくし立て、相手をバカにする態度を見せる。当然にも相手の女の子は怒ってしまう。この会話のシーンのつかみで、わが主人公はとても嫌なやつだということが観客に印象付けられる。ハーバード大学の優秀なコンピュータ学徒にして、人付き合いが苦手な天才少年。

 本作は、フェイスブックを創設したマーク・ザッカーバーグの実話をもとに若干のドラマを加えて作ったというもので、実在の人物がほぼ本名で登場する現在進行形のドラマだ。たいへん挑戦的な作品であり、どこからもクレームが出なかったのか不思議に思う。

 この映画を見てもフェイスブックとはどういうものかはよくわからない。観客は既にフェイスブックを知っているか、ユーザーでなければならないだろう。ただし、フェイスブックを知らなくてもこのソーシャル・ネットワークがなぜあっという間に広がったのかはとてもよく理解できる。そもそもの始まりがハーバード大学内のコミュニティであったからだ。本名で自分たちのプロフィールを登録し、恋人がいるのかどうかを書く欄があって、「出会い系」としての機能を充分に持っていた。しかも、ハーバード大学生のエリート意識をくすぐることができる。このネットワークはハーバードのほとんどの学生が登録するようになり、やがては主要大学へと広げていくことになる。あくまでユーザーは大学のアカウントを持つ者に限られる。このことが閉じたネットワーク世界の安心安全感につながったのだろう。現在ではフェイスブックは全世界に広がり、ユーザーに制限はない。

 物語の始まりは2003年、マーク・ザッカーバーグが恋人に振られるところから。振られた腹いせに相手のことを自分のブログで罵り、さらにはハーバード大学の学生名鑑のページにハッキングをかけて女子学生の顔写真をすべてダウンロードし、女子学生の写真を2枚ずつ並べてどちらが可愛いか投票させるサイトを作ってしまう。これがあっという間にアクセスを集め、夜中だというのに2時間で2万2000アクセスがカウントされ、ハーバード大学のサーバーがダウンする。これがフェイスマッシュと名づけられた、たった4時間で消去されたサイトだったのだが、これをきっかけにマークはフェイスブック創設者へとなりあがっていく。

 フェイスブックには当初、アイデアを持ち込んだ人間がいた。それがハーバード大学でマークの先輩にあたるウィンクルボス兄弟とその友人である。彼らはマークに目をつけて、プログラムを書かせようとした。しかし、実際にはマークはウィンクルボス兄弟を出し抜いて自分だけでフェイスブックを立ち上げてしまう。その後、ウィンクルボス兄弟は財力にあかせてマークを裁判に訴える。

 この映画は、マークが訴えられた2件の裁判の協議場面を現在時制とし、フェイスブック立ち上げにまつわる場面を過去時制としつつもこの二つの場面をシームレスにつなぐ。過去と現在が滑らかにつながる編集がおしゃれで、デヴィッド・フィンチャーらしさが感じられる。ただし、映画全体としてはどちらかというとオリバー・ストーンとかが作りそうな話なのだ。映像派フィンチャーの面目躍如、という感じがしない。

 マークは、自分が作ったフェイスブックがあっという間に多くのユーザーを獲得したことに満足していたが、彼の「事業」に資金を提供した親友のエドゥアルド・サベリンはフェイスブックに広告をつけて事業拡大を狙っていた。広告をつけるなんて「クールじゃない」と反対するマークとエドゥアルドとは意見が合わなくなってくる。彼らの間にはまた、ナップスター創設者のショーン・パーカーがからんでくる。ナップスターもまた無料で音楽をダウンロードできるサイトであったが、ショーン・パーカーは著作権法違反で音楽業界から訴えられて失業者同然の生活をしていた。ショーンがマークに大きな影響を与えたことが印象的に描かれている。


 本作を見る限り、フェイスブックにまつわる親友同士の対立はネットワーク事業を営利目的で使うのかどうか、という彼らの考え方や志向の違いにあるように見える。マークは性格的には問題があったかも知れないが、極めて純粋な人間であり、金儲けよりはソーシャルネットワークをたちあげて、人々を喜ばせることに興奮を覚えていたのではないだろうか。結果的に彼はいま世界一年少の億万長者になっているが、それは彼が本当に望んでいたことではないように思える。それが証拠に、映画の中の彼は孤独で可愛そうな人間だ。そして、いったい何を考えているのかよくわからない。映画の中のマークは実際のところ何を求め何を悩んでいたのか、曖昧にされている。


 大いなる成功者でありながらその代償に唯一の友を失い、恋人とは別れた男。彼が求めていたのはいったいなんだったのだろうか。常に早口でしゃべりまくり、協議の場で審問されれば「その質問の意図は?」と訊きかえす、猜疑心の強い、コミュニケーションのとりにくい若者。そんな彼が生きてゆける世界がネットの中にはあり、会社勤めはできなくてもソース・コードを15時間もぶっつづけに書き続ける才能はある。ネット社会の怖いところは、遊び感覚で始めたサイトがあっというまに「リアルなもの」に置き換わり、社会を動かし、金銭的利益を生むことだろう。怖い、と書いたが、同時にそんなことが可能であるからこそ、若者が簡単に起業でき、職人芸を発揮する場も与えられる。「引きこもり」といわれる人間でも才能を生かすことが可能になる。


 最初から最後までハイテンションで駆け抜ける映画だから、すべての場面がクライマックスとも言えるのだが、その中でも特に音(楽)の使い方が何箇所か、強く印象に残る場面がある。一つは、ボートの試合の場面で流れるグリーグの組曲「ペールギュント」の「山の魔王の宮殿にて」。編曲が楽しくて笑いそうだった。もう一つは、ショーン・パーカーとマークが大音響で音楽が流れるパブの中で会話する場面(上の写真)。このプロダクションデザインがおしゃれだ。照明と音楽がマッチしていたし、バックに流れる音楽に負けずに台詞がきちんと集音されているのは驚き。サントラがほしくなる映画です。


 ところで、おととい、大学の同窓会から「京大アラムナイ」開設と登録案内が郵送されてきた。これもまたソーシャル・ネットワークの一つだ。こういうのが各大学で流行っているのだろうか。登録者数を知りたいが、webでは公表されていないようだ。

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THE SOCIAL NETWORK
120分、アメリカ、2010
監督: デヴィッド・フィンチャー、製作: スコット・ルーディンほか、製作総指揮: ケヴィン・スペイシー、原作: ベン・メズリック、脚本: アーロン・ソーキン、音楽: トレント・レズナーアッティカス・ロス
出演: ジェシー・アイゼンバーグアンドリュー・ガーフィールドジャスティン・ティンバーレイク
アーミー・ハマー、マックス・ミンゲラ、ブレンダ・ソング、ルーニー・マーラ