吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

レオニー

 ネットで予告編を見た長男Y太郎が、「美術と照明がいい仕事してる」と言っていた。後で劇場用パンフレットを読んでわかったが、照明は黒澤組だそうな。さすが、いい仕事しているというYの目に狂いはなさそうだ。
 日米合作映画でしかも日米でスタッフが違うという作品。だから日米の場面で雰囲気が異なっている。でも、全体に絵がとても柔らかく温かみがある点では共通していて、映像の雰囲気がいい。


 天才彫刻家イサム・ノグチの母レオニー・ギルモアについては伝記的資料がほとんど残っていないという。しかし、わずかな資料を元にドウス昌代が書いた伝記が本作の原案となっている。原作ではなく原案というのは、原作からかなり自由な発想をしてフィクションを加えたかららしい。そうなると、俄然原作が読みたくなる。早速図書館で予約した。


 本作は天才を育てたシングルマザーの波乱万丈の物語であり、元祖フェミニストとも言うべき女性の力強い生き様を描いた作品である。「夫」の野口米次郎がどうしようもない身勝手な男として描かれているだけに、彼女の気丈さや米次郎への愛憎入り混じった複雑な感情が際立つ。


 20世紀初頭のニューヨークから物語は始まる。NYのヴィレッジで日本人の詩人ヨネ・ノグチの編集者になったレオニーは、ほどなく彼の子を身ごもるが、日露戦争勃発を契機に、ヨネは妊娠中のレオニーを捨てて日本に帰ってしまう。しかも、「ぼくは日本に帰るが、作品は送り続けるから、編集してアメリカで出版して欲しい」などと得手勝手なことを言い残す。こんなとんでもない男、レオニーは騙されているだけ、利用されているだけに違いない。と思うが、それほど話は単純ではない。ヨネとて、何度も手紙を送り続けてレオニーを日本に呼び寄せようとする。それはおそらく生まれた子どもが男の子だったからではないかとわたしは邪推しているが、この一組のカップルの愛憎は一筋縄ではいかないようだ。


 1906年、実母の制止を振り切ってレオニーは2歳のイサムを連れて日本にやってきた。東京で彼女は一軒家に女中付きで住むことになるが、留守勝ちの夫の姿に不審を抱いたレオニーは、ヨネに正妻がいることに気づく。レオニーは英語の家庭教師をして糊口をしのぎ、ヨネの援助を断ち切ってしまった後は生活苦にあえぎながらもおおらかにイサムを育てる。やがてレオニーは第2子を妊娠する……


 レオニーという類まれな強い意志をもった女性の半生が描かれるが、彼女一人の決意と努力だけではなく大勢のサポーターがあってこそ異国での生活が可能になったことがよくわかる。映画はレオニーの視点でつまりは女性の視点で描かれるため、野口米太郎がどうしようもなく傲慢でいいかげんな男にしか見えないのだが、彼とて弁解の機会を与えられれば言いたいことはいくらでもあるだろう。野口は「妻子」を捨てたわけではなく、日本に来るように何度も誘っているし、日本では彼らに一戸建ての家を与えているし、レオニーに仕事の口も紹介した。レオニーも、困ったときには野口を頼ったのである。明治から大正という時代の制約も考えれば、野口にしては精一杯の責任を果たしたといえそうだ。そこまで大目に見ても、なおかつやはり野口米太郎の態度には本当に腹が立つ。そのいけしゃあしゃあとしたところを中村
獅童が「地ではないか」と疑わせるほど自然に巧演しているのも皮肉か。


 印象的だったのは、その憎たらしい野口を前にして、すでに中年の域に達したレオニーが複雑な視線を向ける場面だ。レオニーが日本を立ってアメリカに戻る直前のシーンだが、おそらくここが野口との生涯の別れの場面であろう。そこでエミリー・モーティマーは実に複雑な表情を見せる。レオニーが野口をただ憎んでいただけでも、一途に愛していただけでもない、自立した女の矜持と失望がからまりあい胸に迫る場面である。


 レオニーをめぐる人物には、小泉八雲の妻や津田塾大学創設者津田梅子などがいる。その人脈というか文化資本には大いにそそられる。もっと詳しく伝記的事実を知りたい。


 レオニーのすごいところは、10歳のイサムの才能を見抜いて「大工と左官をつけてあげるから、自分で家を設計しなさい」と命じてしまうところ。そして14歳の息子を単身アメリカにやってしまうところ。さらには「イサムは芸術家だ。医者になんかならない」と宣言して医学校進学をやめさせようとするところ。こう見てくると、母親の影響は実に大きいことがわかる。しかし、それゆえに思う。息子を偉人に育てるのは母の力である、という母性神話が跋扈することを危惧する。レオニーは天才を育てた母であると同時に、編集者として野口米太郎の作品を世に出した人物であり、秘めた恋に身を焦がしたであろう女性である。この映画はレオニーの母たる部分をライトアップするが、彼女にはさまざまな顔があった。そこを理解せずにただレオニーの偉大な母性だけを強調するような捕らえ方は一面的だろう。


 晩年のレオニーがアメリカの片田舎に引き込み、「若いころは欲望にとりつかれていたが、今はほしいものは何もない」と語る清清しくも恬淡とした表情には心がなごむ。このように静かに年老いていきたいものだと思わせる、美しい場面だ。ほんのわずかなショットなのだが、この場面がくっきりと心に残っている。


 波乱万丈の物語は母レオニーのものだけではなく、イサム・ノグチはこの映画が終わった後、さらに波乱に満ちた日々を生きることになる。それはまた別の物語だが、その物語にも耽溺したいものだ。
 

LEONIE
132分、日本/アメリカ、2010
製作・監督・脚本: 松井久子、原案: ドウス昌代イサム・ノグチ 宿命の越境者』、音楽: ヤン・A・P・カチュマレク、照明: 佐野武治
出演: エミリー・モーティマー中村獅童原田美枝子竹下景子クリスティナ・ヘンドリックス、メアリー・ケイ・プレイス、柏原崇、山野海、大地康雄、勅使河原三郎、中村雅俊