吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

クロッシング

 警察官の犯罪というテーマといい、薄暗い画面や陰鬱な展開に既視感を抱いた巻頭。やはり監督は「トレーニングデイ」のアントワン・フークアだった。

 クロッシングというほどには3人の警官のエピソードは交差しない。「クラッシュ」ばりの複雑な群像劇を期待してはいけない。ポール・ハギスのような凝った脚本ではないのだから。


 物語は、NYブリックリンの3人の警官がのっぴきならない状況に追い込まれていく様子を暗いタッチで描くもの。3人の物語は均等に描かれていて、いずれもが警察人生の「終焉」を迎えつつある。実際に終焉を迎えようとしているのはリチャード・ギア演じるエディである。エディは定年退職を数日後に控えて、大過なく最後の職業生活を終えようとしている。もはや仕事など本気でやろうとは思わず、怠惰な日々を送っているのだ。そのうえ自殺願望ありときた。



 もう一人の警官サルは子沢山でそのうえ喘息の妻を抱えて、まともな住居への引越しのための金が欲しい。サルを演じたイーサン・ホークがとても老けて生活苦を顔一面ににじませているところが痛々しい。サルは麻薬捜査の最中に金を横領するにとどまらず、数々の悪行を重ねる悪徳警官である。とはいえ、それはすべて家族のため。気に入った不動産物件の手付け金を期日までに払わねばその家は彼の手に入らない。焦ったサルは泥沼へと一歩を踏み出す。



 3人目は囮捜査官のタンゴ。3人の警官の中で彼だけが黒人であり、黒人たちの麻薬ルートを潜入捜査しているうちに恩義を受けた友人との板ばさみになっていく。



 この3人の辛くて苦しい日々を見ていると、ドストエフスキーの小説を読んでいるような息苦しさを覚える。熱心なカトリックであるサルが子沢山で生活苦に喘ぐ、というのはありがちな設定。警官にはアイルランド系が多いから、当然にもカトリック、そして子沢山。

 ヤクザの組織にどっぷりクビまで浸かっているタンゴなんて、本当に警官かと思うほどに、もうすっかりヤクザである。彼とても潜入捜査で手柄を立てて出世したいが、恩を感じている友人を裏切れない。人生は不条理に満ちているのだ。

 そして、妻とは別居し、娼婦チャンテルと付き合っているエディの切なさは胸に迫るものがある。娼婦の部屋に早く到着しすぎたら、彼女は前の客の相手をしている最中。廊下で待たされるエディはチャンテルと本気で人生を共にしたいと願っている。死の誘惑にさらされている彼にとってそれが最後の生きる望みなのだろう。しかし、チャンテルが前の客との「仕事」を終えてトイレで陰部をぬぐっている場面のドキリとするリアリティは、観客にエディの切なさややりきれなさを伝えて余りある。娼婦と一緒になるというのはこういう辛さを抱えていくことなのだ。



 麻薬捜査や警官の強盗事件の捜査が佳境を迎え、物語は悲劇のクライマックスへとテンポを速める。ついに3人の警官たちが一瞬のクロッシングを見せるとき、彼らに希望は残されているのか?



 報われない仕事に就き、上昇志向の強い上司にいいようにダシにされる辛い日々を送る宮仕えの身ならば、この物語にきっと身につまされることだろう。こんなふうに希望のない街、希望のない仕事、希望のない人生。それでも生きていかねばならない不条理を背負っているのが、最も死を望んでいたはずのエディであるのは皮肉だ。

                                                                                  • -

BROOKLYN'S FINEST
132分、アメリカ、2009
監督: アントワーン・フークア、製作: ジョン・トンプソンほか、脚本: マイケル・C・マーティン、
音楽: マーセロ・ザーヴォス
出演: リチャード・ギアイーサン・ホークドン・チードルウェズリー・スナイプスウィル・パットンエレン・バーキン