あまりにも思わせぶりの度が過ぎて、退屈でたまらない。それよりも、隣の隣の席のおばさん(おばあさん)二人連れがいちいち画面に反応して延々とおしゃべりしている、その会話のほうが面白かった。最初のうちは「うるさいなぁ。最近の映画館は若者と年寄りの行儀が悪い」と腹が立っていたけれど、映画が退屈な分、そのおしゃべりのほうが気に掛かる。おばさんたちはちょっとでも面白い場面があれば大げさに笑うし、「次はどこでどんな反応をするかなぁ」といつのまにか楽しみになってしまっている自分に気づいて可笑しい。
そして、映画がどんどん退屈になるにしたがっておばさんたちのお喋りはボリュームアップし、とどまるところを知らない。ついに隣席の若い女性が切れてしまった。彼女が「いい加減に静かにしてください」と叱責したのは映画が始まって1時間ほどしたところ。よくぞ我慢しました。ところがおばさんたちはちっともじっとしていられない。おしゃべりは止めたけれど、次はごそごそごそごそごと動くのである。荷物を触ってみたり、居住まいをただしたり。ほんまにまあ、家のテレビで映画を見ているのと同じ気構えで映画館に来るのはやめてほしい。ここはくつろぎの殿堂ではないのである。おたくのお茶の間とちゃうねんからね、公共空間であることを自覚しましょう。
というわけで、いったいどんな映画だったのかすっかり忘れてしまった。食べ物が美味しそうだったのは間違いない。なにしろ「かもめ食堂」と同じフードスタイリストなんだし。おばさんたちも「いやぁ〜、美味しそうやねぇ。うちの嫁もあんなん作ってくれるねんで」と語り合ってたし。
思わせぶりで狙いすぎの脚本は、登場人物たちがいったい何をめぐってお喋りしているのかまったくわからないし、少しでも京都を知っている人間には違和感がありすぎる。町並みや人の佇まいに京都らしさがない。登場人物たちが同じ町に住んですぐ近くの通りを行きかっているようには見えない。何よりも、京都弁を話す女が少なすぎる。いくらよそ者がやってきて住み着いたという設定にしても、みんながみんな、標準語をしゃべるわけがなかろう? 地元民も登場するはずなのに、絶対変だし。唯一、八百屋さんが京都弁だったけど、あれは素人を使ったからでしょう。
映画には映画の文法があって、「映画的嘘」を嘘と思わせずに、「ここはそういう設定だから」と観客を納得させる力技が必要である。ところが、本作にはその「力」がない。たとえ京都の町並みがうそ臭くても、それを納得させる物語の豊かさがあればよいのだが、ここにはそれがない。おそらくその原因は、キャラクターの薄さにあると思う。と同時に、京都という町のもつ魅力によりかかった企画であるというのが問題なのだろう。町のキャラクターを使ったのはいいけれど、それを人間の側にひきつけるだけの説得力に欠けた。
「かもめ食堂」の心地よさがこの映画にはない。同じ路線を狙っているのに何が違うのだろう?
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105分、日本、2010
監督: 松本佳奈、プロデューサー: 小室秀一ほか、脚本: 白木朋子、たかのいちこ、音楽: 金子隆博
、フードスタイリスト: 飯島奈美
出演: 小林聡美、小泉今日子、加瀬亮、市川実日子、永山絢斗、光石研、もたいまさこ、田熊直太郎