吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

終着駅 トルストイ最後の旅

 ここのところ睡眠が不規則で、この映画のときは予告編の時点で既に爆睡状態。本編が始まっても寝ていて、15分ぐらい経ってやっと目が覚めたので、最初のほうがわからない。集中力に欠いてしまったので、惜しいことをした。とはいえ、ヘレン・ミレンのきりりとした美しさには大いに惹かれた。本作はミレンの映画である。



 貴族出身のトルストイが、その莫大な財産を使って理想郷を作ろうとしたことはよく知られている。その影響下に日本では白樺派がコミューンを作ろうとしたのが「新しき村」運動である。コミューンといえば1970年ごろのヒッピーもしかり。パリ・コミューン以来、コミューンというのは失敗することになっている。そもそもこういったコミューンには高い倫理規範が求められ、それは破綻するかもしくはほとんど広がることがない。人間の自然な欲求やマイナスの感情をも包み込む鷹揚さがなければ、コミューンというのは失敗するのである。だから、トルストイの理想郷作りも矛盾だらけだった。その矛盾をこの映画は描いている。

 トルストイの妻ソフィアは世界三大悪妻の一人だそうだ。誰が言い出したのか、三大悪妻とはこれいかに。悪妻があっても悪夫がないのだから、これは当然にも女性差別用語ですな。ソフィアはトルストイとの間に13人もの子どもを生み育てたが、晩年、彼らは財産をめぐる長い確執に苦しんでいた。理想のために印税をすべて民衆に分け与えようとしたトルストイと、家族のために印税を手放すことに反対のソフィアは遺言状をめぐって言い争いが絶えず、82歳にもなってついにトルストイは家出してしまう。映画ではトルストイがそんな高齢には見えない。演じているクリストファー・プラマーもほぼ80歳なのだが、ちょっと元気がありすぎる感じがする。


 映画の中では、ソフィアは財産に執着する悪妻というよりも、夫と考え方が合わないために夫婦喧嘩を繰り返す、どこにでもいる主婦のように見える。とはいえ、ヘレン・ミレンが演じると実に気品ある女性に映るのだ。トルストイ夫妻は愛し合っており、48年の結婚生活を幸せに育んできたことが描かれる。しかしトルストイは理想と現実とのギャップに悩み、彼の理想郷は足許から欺瞞に満ちていた。


 物語は、若い秘書ワレンチンの視点で描かれる。新たに雇われたワレンチンは熱烈なトルストイ主義者であり、尊敬する大先生に仕えることが嬉しくてならない。しかし彼は夫妻の不仲を知ってしまい、板ばさみになって右往左往する。恋愛ご法度の理想村に奔放な美しい女性がいて、その彼女にすっかりのぼせあがってしまい、トルストイの取り巻きのチェルトコフから厳しい視線を浴びせられる。


 映画を見ていて面白かったのは、トルストイが常に取り巻きに囲まれていることだ。最後の家出となった事件のときも、医者や秘書などを引き連れて旅立っている。まるで大名行列ではないか。家出とは孤独にひっそりと行うものなのに、トルストイの場合は大騒ぎして出立してしまう。彼は農民の真似事をしてみても、結局は貴族であったのだ。財産があるからこそ社会事業にも手を出せるし、小説だって書ける。こういう人は年老いて家を出ても行方不明になったり非実在老人になる心配がない。
  

 かくのごとく、トルストイの理想郷は最初から矛盾に満ちていた。愛のための村のはずなのに妻とは大喧嘩を繰り返し、父親の味方をする娘と母ソフィアもまた対立して、ソフィアは思わず娘に悪態をつく。それは母親ならば決して言ってはならない言葉だった。ついに娘や取り巻きをつれてトルストイは家出してしまう。それは二度と再び帰らぬ旅路だった。出奔から数日で高熱を出したトルストイはそのまま客死するわけだが、最後に妻の名を呼ぶ場面は涙をそそる。対立していても憎んでいたわけではない。13人もの子宝に恵まれたのだから、二人は大いに愛し合っていたはずだ。トルストイという文豪夫妻の物語だからこそドラマチックだが、これは長い年月を愛憎とともに暮らす夫婦になら、当たり前に起きそうな出来事ばかりだ。 

 これに比して、若い秘書ワレンチンの恋愛がどこか中途半端で、これは観客サービスのためにベッドシーンやらケリー・コンドンの裸体やらを見せる必要があったのか、いっそなくてもよかったと思う。



 この映画に関しては、とにかく体調不全でひたすら睡魔と闘うはめになったので、集中力に欠いてしまった。残念。

                                                • -

THE LAST STATION
112分、ドイツ/ロシア、2009
監督。脚本: マイケル・ホフマン、製作: クリス・カーリングほか、製作総指揮: アンドレイ・コンチャロフスキーほか、原作: ジェイ・パリーニ、音楽: セルゲイ・イェチェンコ
出演: ヘレン・ミレンクリストファー・プラマー、ジェームズ・マカヴォイ、ポール・ジアマッティ
アンヌ=マリー・ダフ、ケリー・コンドン