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吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

コレラの時代の愛

 最後は感動した、長い長いお話。主人公の性格づけが矛盾しているのは、ガルシア=マルケスの筆の誤り? それともその矛盾を大らかにとりこんでこの大河物語を読みなさい、という作家の意図か。

 
 何度も何度も時間軸を行きつ戻りつしながらも着実に未来に向かって進む、その時間のうねりはわたしたちの日常的な時間感覚に近い。人は一直線の時間軸を生きていない。


 人は安定した生活を求めながらも冒険を夢見る。一人の女への純な愛を燃えさかる炎を保ちながらも幾多の女と恋に落ちる。このように、矛盾した望みを抱き、曲がりくねった時間を生きるのが人の生き様というものではなかろうか。記憶は人々の頭の中で幾重にも重なり、50年前の出来事が昨日のように鮮やかであると同時に昨日見た映画のタイトルを忘れてしまったり、いくつもの時間が同時に存在したり、消えてなくなったり。ガルシア=マルケスは本作でこのような「人生の真実」を実感させてくれる。だから、「筆の誤り」と冒頭に書いたことはそれこそ誤りなのだ。

 フロレンティーノ・アリーサ、この不実な忠義者、一途な浮気者。彼が齢80を間近に迎えてもなお死の影に怯えるどころか、半世紀以上愛し続けた女性を得るための旅に出るとは、なんというエネルギー、なんという思慮深さ。もう残りの時間がないというのに、彼は焦らない。この倒錯と勘違いは彼の時間感覚の特異さから来る。彼には過去も未来も一つのものとしてある。17歳のフェルミーナ・ダーサを愛したときから、ただ一筋の未来へ向かう時間感覚しか持ち合わさなかった。だから、たとえ何百人の女性と恋に落ちても、それは彼の時間の感覚の中では一瞬のまどろみの中で見た夢に過ぎない。


 ところで、500頁を超える本作を長い時間をかけて読んでいるうちに、冒頭のほうの話をすっかり忘れてしまった。そもそもウルビーノ博士はいったい何の秘密を握ったのだったっけ? その謎解きは小説の中ではついに語られなかったような気がするが… 最初に登場する、死んでしまった写真家の話はいったい何の伏線だったのだろう…。


<書誌情報>
 コレラの時代の愛 / ガブリエル・ガルシア=マルケス著 ; 木村榮一訳. 新潮社, 2006. (Obra de García Márquez ; 1985)