吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

ロゼッタ

 初期のダルデンヌ兄弟の作品だが、既に後の「息子のまなざし」で使った手持ち接写のカメラの使い方は同じだ。BGMもまったくない。「息子のまなざし」ほどには極端ではないが、被写体まで20センチほどしかないようなアップを多用するドキュメンタリータッチの手法は同じ。しかしまだ「ある子供」のときのような見事なカメラの動きは見られないし、「息子のまなざし」ほどの高度な緊張感はない。ダルデンヌ兄弟作品の常連オリヴィエ・グルメが出演しているのでなんだか懐かしい感じがする。
 ロゼッタは公園内のトレーラーハウスにアルコール依存症の母と暮らす少女だ。彼女の貧困ぶりを見ていると、社会保障の行き届いたベルギーでもこんな生活をしている人々がいるのか、と驚いてしまう。極貧にありながらロゼッタは決して生活保護に頼ろうとしないし、不正な仕事にも手を染めない。どうしても普通のアパート暮らしがしたいし、普通の仕事がしたい。その気持ちが強いあまり、強引で頑なな態度もとってしまう。
 いつもいつも不機嫌で仏頂面のロゼッタをほとんど地ではないかと思えるほど見事にエミリー・ドゥケンヌが演じきっている。カンヌ映画祭主演女優賞受賞。


 貧しさが一人の少女の心を閉ざしてしまう。周囲の人々との距離感もうまくつかめない。自分の主張だけを文字通り猪突猛進にがなり立てる。そんなロゼッタを見る観客は戸惑うだろう。彼女に同情する人でさえ、「あの態度はいかがなものか」と思ってしまう。しかし、ダルデンヌ兄弟のカメラはひたすらロゼッタの日々の生活を追う。それこそ退屈なまでに何度も繰り返される同じシーン、ロゼッタが運動靴をゴム長靴に履き替える場面を見るうちに、彼女にとっての日々の生活の困難さが、観客にとってもいつしか骨身にしみるように感じ取れるようになる。スニーカーを長靴に履き替えて、泥道を踏みしめながらトレーラーハウスへと向かう。この貧しさはなんなのだろう? スニーカー1足すら大事に大事に履く、そんな思いをわたしたちはしたことがあるだろうか?


 接写のカメラはひたすらロゼッタの表情を追う。と同時に、そこにはロゼッタが見る諸々の人々、事柄が存在するはずなのだ。ロゼッタの恐怖、ロゼッタの躊躇、ロゼッタの戸惑い、ロゼッタの喜び、ロゼッタの打算、ロゼッタの怒り…。ロゼッタの表情を凝視するうちに、わたしたちはいつの間にかロゼッタが感じる不条理と絶望を共有してしまう。

 
 自立心旺盛なロゼッタはただ、普通の生活がしたいだけだ。それだけしか彼女には夢がない。友達がほしい、仕事がほしい、屋根のある家で眠りたい。そんな、誰にでもすぐ手の届きそうなふつうの生活が困難な場合、人はどのように心を閉ざしあがくだろう? 誰にも頼らない代わりに人を出し抜いてでも仕事がほしい。自立心の裏返しは極度の競争心とルサンチマンと足の引っ張り合い。そんな、絶望的で目を背けたくなる現実をダルデンヌ兄弟は淡々と痛いまでにえぐるよう、撮りあげた。


 突然のラストシーン。ここには、ほんのわずかな、そう、かすかな、希望が見える。絶望と紙一重の希望が。(レンタルDVD)

ROSETTA
93分、ベルギー/フランス、1999
監督: リュック=ピエール・ダルデンヌ、ジャン=ピエール・ダルデンヌ、撮影: アラン・マルクーン
出演: エミリー・ドゥケンヌ、アンヌ・イェルノー、ファブリッツィオ・ロンギーヌ、オリヴィエ・グルメ