吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

冷たい雨に撃て、約束の銃弾を

 日曜日に、父と約半世紀ぶりに一緒に映画を見に行った。かつては幼かったわたしの手を引いてくれたであろう父の腕をとりながらヨチヨチと歩く。父も老いたが、わたしとて、もうとっくに中高年なのだ。父の好きなアクション映画を選んだ。ここのところ「寝たきり」状態だという父がほんとうに寝たきりにならないために、外から刺激を与えてみようと計画。丸一日、父と一緒に外を出歩いて、帰りがけには父の足取りもしゃんとしていたから不思議だ。
 わたしの映画好きは多分に父の影響で、さらにわたしが息子達を小さなときから映画館に連れ回っていたからか、長男もすっかり映画好きになり、とうとう映画製作者になると将来の夢を決めて映像学科に進学した。親子三代映画ファンの花に実がなるか?

 
 それはともかく、この映画。

「エグザイル /絆」とほぼ同じキャスト、同じ雰囲気、同じガン・アクション、同じ香港・マカオ。つまりは、旧作のファンを喜ばせるためにある作品。父は久しぶりの映画だけれど疲れなかったようで、なにより。「鉄砲の音が大きすぎてびっくりした。大砲を撃ってるのかと思った。ほんとうの鉄砲はあんな音はしない」と言っていた。確かに、そうだろう。しかしそれでは映画的には興奮度が低いし、客が納得しないのだ。音もさりながら、この映画はとにかくリアリティなんてまったく無視しているから、そんなことはどうでもよろしい。



「主人の急所には弾が当たらんのやなぁ。あれだけ撃ちまくってるのに、当たらんほうが難しい」と父の弁。確かに、この映画にはリアリティなどかけらもない。あったのは、料理を作る場面の美味しそうなことぐらいか。ジョニー・トーは食べることにこだわる監督だそうだ。



 リアリティなどかけらもないから、映画はひたすらトー監督の美学のために発動する。監督はどうやってかっこよく見せるかということにしか眼目がないから、「そんなことアリか?」などという要らぬ疑問を差し挟んではならぬ。格好よく決めるために、殺し屋たちの立ち位置もピタリと計算してある。水平配置のこだわりは「エグザイル」の時と同じ。クライマックスの銃撃戦では、ゴミ集積場を舞台に、ゴミキューブを転がしながら殺し屋たちがガンアクションを見せるという、映画的な面白さだけを狙ったものすごい場面を見せてくれる。これぞ究極の様式美。
 派手なアクションシーンの凝った構図だけではなく、静かな場面の緊迫感もたまらなくいい、背筋がゾクゾクする。三人の殺し屋とフランス人が初めて出会う場面、人殺しをしたばかりの3人にとって目撃者となる初老のフランス人と目が合う。一人として言葉を発せず、視線だけが激しく火花を散らす。互いがただ者ではないことをその瞬間に直感するのだ。クールです、たまらんわ。



 「エグザイル」と同じくかっこうよさを追求した映画だが、違いは、ストーリーのわかりやすさだ。「冷たい雨に…」のほうが復讐譚であるという点が理解しやすい。しかも、ここに「記憶が失われていく」というひねりを加えたことで情緒面でも観客の琴線に触れるのである。娘一家の恨みを晴らすという強い怨念も、薄れ行く記憶の中では意味のないものになってしまう。記憶がなくなっていくということは、人格の同一性が保てなくなるということであり、わたしはふと、「これが老いていくということかもしれない」と胸を掻きむしるような切なさに襲われた。



 どんなに強い思いも、やがては薄れていく。たとえ老いても鮮明な記憶が保持できたとしても、いつか人は死ぬ。死ねば、どれほどの苦悩も愛も恩讐もすべて無に帰する。その空しさに人は耐えられるのか? そんな思いに囚われる、後に尾を引くラストシーンだった。



 ジョニー・アリディが枯れた初老の男の雰囲気を素のままで演じていて、この男の暗い過去を思わせる独特の目つきに迫力がある。香港の寄る辺なき異邦人、という不安定ではかなげな役回りが好配置。わたしはコミカルな味付けの「エグザイル」よりセンチメンタルな本作のほうが気に入った。

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VENGEANCE
復仇
108分、フランス/香港、2009
監督: ジョニー・トー、製作: ミシェル・ペタン、ロラン・ペタン、脚本: ワイ・カーファイ、音楽: ロー・ターヨウ、バリー・チュン
出演: ジョニー・アリディ、シルヴィー・テステュー、アンソニー・ウォン、ラム・カートン、ラム・シュー、サイモン・ヤム