吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

マンデラの名もなき看守

 「インビクタス」よりも感動的かもしれない。

 ネルソン・マンデラの品格溢れる伝記映画であると同時に、彼に魅せられた白人看守の苦悩と解放への心の旅路を描いた感動作でもある。あまりにもかっちりと生真面目に作り込まれたところが好感を持てると同時に面白みにも欠けると思わせるところで、評価は難しい。なによりも、看守とマンデラとの20年以上に及ぶ大河ドラマを短時間で撮ってしまったため、時間の経過の重みを感じることがなく、そこがこの映画の最大の欠点と言える。


 本作がマンデラを主人公とする映画ではないところに感動の要因がある。この映画は、看守としてマンデラに接するうちに偏見を克服して変わっていく白人警官を主人公とする。変わっていくのはジェームズ・グレゴリー という看守だけではなく、ジェームズよりももっと偏見に満ちていた妻もまたそうである。この映画に登場するマンデラはカリスマのオーラをまとった偉大な人物だ。あまりにも偉大なので近寄りがたい崇高さを感じる。だが、主人公ジェームズは等身大の人間であり、冷酷な差別者というわけでもなく、心の中には弱さも優しさも優柔不断さも持っている、ごくふつうの人間である。それゆえに、ジェームズという人間が変わっていく様を感動的に魅せる。彼がマンデラの看守に就いたのは、幼い頃黒人と一緒に遊んだ経験があり、黒人のコーサ語が理解できたからである。もともとマンデラに惹かれていく潜在的な要因があったのだ。もっとも、ジェームズのコーサ語はマンデラをスパイするために活用することを権力に期待されていたのだが。


 下級官吏としてのジェームズは、いつも不満だらけの妻に出世を懇願され、上司にうまく取り入ることを要求される。妻自身が「こんな狭い官舎住まいで、子ども達を大学へやることもできない」と不平をこぼし、官舎に住む上司夫人に取り入ろうと懸命だ。だが、妻を演じたダイアン・クルーガーが美しすぎるために、「白人下層階級のみじめさ」が感じられない。むしろ、当時流行のミニスカートをおしゃれに着こなす颯爽とした「美容師」に見える。上昇志向に煽られて、物質的豊かさを求める妻の姿は典型的な白人階層の姿を現しているし、黒人への偏見に満ちたその姿勢・意見もステレオタイプだ。彼らの<現状への不満と主観的な惨めさ>を見ていると、ドストエフスキーが描いたロシアの下級官吏の不平不満を想起する。彼らには、自分たちよりもっと悲惨な黒人は目に入らない。


 ジェームズは、マンデラが息子の事故死を知っても動揺を見せないその姿に感動したり、「自分の流した情報のせいでマンデラの息子が死んだのでは」と動揺するなど、徐々にマンデラに心を近づけていく。やがてマンデラの知性や教養や不屈の闘志にすっかり魅せられたジェームズは、自身の息子の「家庭教師」をマンデラに任せるまでになる。ジェームズ自身も出世していき、妻は上機嫌である。南アの黒人の闘争が盛り上がるに従って白人政権はマンデラを指導者とするANC(アフリカ民族会議)に譲歩せざるをえなくなり、マンデラも孤島の独房からより自由な刑務所へと移送される。これはわたしがまったく知らない事実だったのだが、マンデラが釈放される直前にいた刑務所はとても刑務所とは思えない豪邸で、マンデラは「監禁」ではなく「軟禁」状態にあった。


 この映画の醍醐味は、人が変わっていくダイナミズムにある。20年以上の時間の流れには様々な悲劇があり、主人公たちは傷つき悩むのだが、それでも歴史は確実に大きく変わっていく。自分たち家族の幸せを願う一人の保守的な看守が、否応なく時代に翻弄され、やがては自らの意志で歴史に立ち会おうとした、その様が感動を呼ぶ。ジェームズは決してヒーローではない。彼は「名もなき看守」に過ぎない、そのことがこの映画の美しさだと思う。そして、わたしには彼の妻がもっとも興味深い人間として映った。夫よりもさらに保守的な妻がいつの間にか変わっていく、そのことが興味深い。しかししかし、繰り返しになるが、この映画があと1時間長ければ、と残念でならない。3時間以上の長尺であればもっと感動したのに、登場人物が年老いていくさまが感じられず、時間の重みがないのだ。逆にいえばよく2時間以内にこれだけ詰め込んだな、と感心もするのだが…。(レンタルDVD)

−−−−−−−−−−−
GOODBYE BAFANA
117分、フランス/ドイツ/ベルギー/南アフリカ、2007
監督: ビレ・アウグスト、製作: ダヴィド・ヴィヒト、ジャン=リュック・ヴァン・ダムほか、原作: ジェームズ・グレゴリー、ボブ・グレアム、脚本: グレッグ・ラター、音楽: ダリオ・マリアネッリ
出演: ジョセフ・ファインズデニス・ヘイスバートダイアン・クルーガー、パトリック・リスター