吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

正義のゆくえ I.C.E.特別捜査官

 移民の国、アメリカ。その寛容と不寛容を描き、9.11後のアメリカの良心を問う必見の力作。「クラッシュ」(http://d.hatena.ne.jp/ginyu/20060329)に似た群像劇。完成度は「クラッシュ」のほうに軍配が上がるが、こちらも素晴らしい力作だ。2009年マイベスト10の5位。


 ICE(移民税関捜査局)というのは9.11後に作られた新しい機関で、警察権をもつという。移民局がテロ対策に特化したもの、と考えればいいのか。物語はICEのベテラン捜査官マックス・ブローガンを軸とする移民達の群像劇だ。マックスは同僚からも「移民に温情をかけすぎる」「人道的すぎる」と揶揄される、心優しき正義の人。ある日、不法就労の現場を押さえるために縫製工場に踏み込んだ時、ヒスパニックの若い女性に「幼い子供がいるの、なんとか見逃して」と懇願される。無理矢理彼女から住所を書いたメモを握らされるが、「だめだ、そんなことはできない。そこまではできない」と断る。しかし、彼女の必死の形相が頭から離れず、眠れないマックスは、棄てたはずのメモを夜中に探し出し、女性の子供を救い出してメキシコまで連れて行く……。


 物語は何人かの移民達の物語が並行して描かれていく。やがてその一人ずつが輪のようにつながって大きな悲劇の周りを取り巻くように配置されていく。かの傑作「クラッシュ」に似ているが、「クラッシュ」がすれ違う人々の物語を一つずつ紡いでいく「拡散型」だったのに対して、こちらは「収束型」だ。


 この映画に登場する移民は、

  • 南アフリカ共和国からやってきた歌手志望のユダヤ人青年
  • オーストラリアからハリウッドでの成功を夢見てやってきた若き女優
  • バングラデシュ出身のムスリム不法移民一家
  • イラン出身の裕福な一家
  • 韓国出身の高校生たち一家
  • メキシコから国境を越えて不法就労している若い母親
  • ナイジェリア出身の孤児

 
 彼ら移民達にはそれぞれの事情がある。そして、その事情につけこむ人間がいるかと思えば、その事情に同情する人間もいる。温情派のマックスは、よかれと思ってしたことが裏目に出る。しかも、もとはといえば、彼がつい職務を逸脱しそうになったことが遠因だった。彼は人道派であるがゆえに職務を逸脱する「悪い捜査官」なのかもしれない。彼がナチスのアイヒマンのように冷徹で職務に忠実な人間だったら、もっと多くの不法移民を取り締まっていただろう。この物語のようなすれ違いの悲劇も起きなかっただろう。この映画はこのような、「意図と結果の乖離」を冷酷に描くと同時に、「職務に忠実である」とはどういうことか、そこからの逸脱は許されるのか、ということを二つのケースから問うている。わたしたちは、ついつい官僚機構のほころびに、ある期待をかけてしまう。杓子定規に法令を当てはめることの理不尽を思う。


 わたし自身もまた、8年数ヶ月、「お役所仕事」の末端を担いながら、「臨機応変」ということを心がけてきた。純粋なお役所仕事ではできないことをやろうと思い続けてきたし、ルールを柔軟に解釈してきた。そのことが「わたしがここにいること」の意義だと思ってきたが、果たしてそれでよかったのかどうか。この映画のようなケースで、温情や「臨機応変」が本当に正しいのかどうかはわからないが、わたし(たち観客)はマックスの温情に心を癒されるし、それを期待する。一方、映画を離れた現実世界では、職務に対する冷酷な忠実さという問題をめぐって人は葛藤を繰り返しているのだ。それは「寛容」と「不寛容」の間で揺れる生身の人間の苦悩である。


 この映画で初めてアメリカの「帰化式」というものを見た。これは新鮮な驚きがある。さすがは移民の国というべきか。移民はこのようにして「アメリカ人」になっていくのだな。アメリカ市民は自らの意志でアメリカ人となった。そこが、国への忠誠心が薄いわたしのような日本人との国旗や国歌への愛着や愛情の違いなのだろう、と思う。

 
 オバマのアメリカは寛容の道を行くのか、不寛容の道を行くのか。たとえ寛容の道を歩んだとしても、そこに「良心」があればあるほど、実は問題は深くなるのかもしれない。


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CROSSING OVER
113分、アメリカ、2009
製作・監督・脚本: ウェイン・クラマー、音楽: マーク・アイシャム
出演: ハリソン・フォードレイ・リオッタアシュレイ・ジャッドジム・スタージェス