吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

第9地区

 「こんなに主人公に感情移入でけへん映画も珍しい。ふつうはだんだん主人公に入れ込んでいくもんやのに、こいつは最後までへたれで自己チューで、おまけに最後は惨めで…」とはY太郎(大学1年)の弁。でも、面白がっていたからいいんではないでしょうか。



 エイリアンが大量に難民として南アフリカ共和国に住み着いたら…。そんなとんでもないアイデアで作られたこの映画は、アパルトヘイトを経験した南アを舞台にしてこその、立派な社会派作品。
 フェイクドキュメンタリーという手法を使った斬新な構成に、まずはワクワクする。この手法自体は決して本作が初めてではないが、描かれている「事実」がまったく事実無根のSFであるところが素晴らしい。劇中劇のごとくに展開するビデオ映像が、主人公ヴィカスをひょうきんな男として、まるで実在の人物のような親しみを感じさせる。



 物語の舞台は現在の南ア、ヨハネスブルグ。20年前に突如現れた宇宙船は、ヨハネスブルグ上空に止まったまま動かない。宇宙船の中には何十万人というエイリアンが難民として存在していた。南ア政府はやむなく彼らを保護して、第9地区に隔離する。20年経って、第9地区はスラムと化し、エイリアンはその異様な姿から「エビ」と呼ばれ、は最下層民として蔑みの対象であった。キャットフードを好み、大食で繁殖力も旺盛な彼らは、都市のギャングたちと結びつき、犯罪にも手を染めていた。高度な技術を持つ彼らの武器は武器商人たちの垂涎の的となり、密輸が横行した。なんと、聞き取り不可能なその言語で英語と通じてしまうという不思議なことも可能に!



 このエイリアン達を管理する機関が、営利企業のMNUという世界企業だ。主人公はMNUのエイリアン課の社員、ヴィカス。巨大企業の中で上からの命令を嬉々として受入れ、素直に実行する「権力の走狗」、小市民ヴィカス。彼はむき出しの蔑視観を以てエイリアンたちの強制移住を実行に移す。抵抗するエイリアンを殺すのも、卵を「中絶」するのも、まったく良心の呵責なく行う。そんなどこにでもいるような男、愛妻家ヴィカスは、ある日謎の液体の飛沫をかぶったためにとんでもない運命へとひた走ることになる……。



 世界を制覇する巨大企業、福利厚生の企業を装う軍需産業、民間傭兵を組織するMNU。これは実在のいくつかの企業を寄せ集めたような企業だ。難民の隔離、差別、アパルトヘイト、巨大軍需企業、公的セクターをも牛耳る企業等々と、描かれている内容はハードな社会派ながらも、ブラックユーモアが漂い、かつ、観客じたいの差別意識にもキリキリと迫ってくる恐るべき映画。どうみても同情も共感もできそうにない気色の悪いエビ型宇宙人が徘徊し、これまた感情移入できそうもないひどい偏見男が主人公ときた日には、こりゃー、たまらん映画だわ、と思いつつ見ていたら、さらに嘔吐・下痢の噴出には参った。腕は飛び、内臓はちぎれて……。こういうグロいのは超苦手。しかしそれでも我慢して見ていられるだけの面白さ。エイリアンの中にも高度な知性と理性を持つ者がいて、彼がなにやら怪しげな実験を繰り返して……というあたりのサスペンスな展開にはすっかりのめりこむ。



 しかし、中盤までのテンポのよさやちりばめられた謎の面白さに比して、後半以降のアクション連発は単調で、これはまあ男性客のためのお約束シーンなのかしらないが、どんぱちドンパチとやられるとわたしはすっかり退屈して爆睡。ここが後一押し知的なひねりがあればほとんど100点つけたいぐらい面白かったのにねぇ。


 製作者のピーター・ジャクソン、よくぞ若い才能を掘り出してくれたものです。 ニール・ブロンカンプ監督の次回作が楽しみ。


−−−−−−−−−−−−−−
DISTRICT 9
111分、アメリカ/ニュージーランド、2009
監督・脚本: ニール・ブロンカンプ、製作: ピーター・ジャクソン、共同脚本: テリー・タッチェル、音楽: クリントン・ショーター
出演: シャールト・コプリー、デヴィッド・ジェームズ、ジェイソン・コープ、ヴァネッサ・ハイウッド