吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

追憶

 全国のTOHOシネマズで展開中の「午前10時の映画祭、何度みてもすごい50本」、難波での第8週。


 100点と言いたいぐらい。最高! 何度観てもすごいどころか、昔観たよりもずっといい。
 

 この映画を観たのは高校生のとき。たぶん、16歳の高校1年だったと思う。その頃は、スペイン内戦もアメリカの社会主義者もマッカーシズムもハリウッド10も何も知らなかったけれど、それでもあの名主題歌とともにわたしの心にずしりと残った名作だった。初見から36年を経た今、物語の背景となった歴史・政治状況への理解は随分進んだし、ニューヨークのユダヤ系インテレクチュアルズに対するわたしの興味や関心も深まった。けれど、何も知らない高校生の胸にさえ、いつまでも去らない切なさを残してくれたこの映画は、悲恋ものの名作の一つと言っていいだろう。シドニー・ポラック監督の作品のなかでも白眉の出来と思う。
 

 高校生のわたしには、主義主張を曲げない立派な活動家vs軟弱ノンポリ男の悲恋、と映ったお話だけれど、今観ると、全然印象が違うのに驚く。今のわたしはケイティよりもむしろハベルに共感してしまう。というよりも、ハベルの弱さがリアルに感じることができる。とても彼を非難する気にはなれない。


 ハリウッドの自己批判が込められた本作は、「社会派」シドニー・ポラックらしい作品だ。そして、戦争から「赤狩り」への時代を背景においたのは、恋愛を描きながらもどうしても脚本家アーサー・ローレンツが言わなくてはおられなかったテーマがそこにあるから。本作が作られた1974年は冷戦時代。ベトナム戦争が終わるころであり、まだソ連=平和勢力という言説が生きていた。それでもなお、ハベルの言葉を借りてポラック(とローレンツ)はヒトラーとスターリンを同列に並べて批判する台詞をさらりと言わせている。それに対してケイティがむきになって反論するその生硬な言葉に説得力はない。政治的にどちらが正しかったのか、ということを21世紀の今になって判定してみせることは無意味だ。そういった政治の問題がケイティにとってゆるがせにできない生き様であったということが痛々しく、かつての我が身を見るようで切ない。
 

 かつて、ハベルをノンポリ男と思っていたわたしだが、今見直してみると、彼は決してノンポリではない。むしろ、非常に良質なリベラル派に見える。だからこそ彼は、学生集会の場で社会主義者ケイティの演説を熱心に聞いていたし、一途な彼女を美しいと思ったのだ。彼にとって、自分と互角に議論のできる優秀な女子大生ケイティは、恋愛の対象としてでなくても魅力的であったに違いない。1944年に二人が再会したとき、ケイティは相変わらずの左翼だった。それに対してハベルは今でいう「ポストモダン」なインテリだったのではなかろうか。何事に対しても懐疑的であり、彼はケイティのように闇雲に突っ走ることができなかった。


 学業優秀なスポーツ万能選手、大学の花形だった憧れの君ハベルを遠くから見つめることしかできなかったケイティが、7年ぶりでハベルに偶然再会する。その、ハベルが登場する場面で、彼はレストランのカウンター席の椅子に座ったまま居眠りをしている。その顔の魅力的なこと! 主役が眠ったまま登場する映画もあまりないと思うが、またその寝顔が美しくてうっとりしてしまうというのもあまり記憶にない。わたしもまたケイティと同じく、美しいハベルの寝顔に思わず見とれていた。


 生まれ育ちも性格も違う二人が、それでも惹かれあってしまうことはある。突然の嵐のように二人は恋に落ちる。お互いの中になにか美しいものを見つければ、それで恋に落ちるには十分なのだ。しかし、やがて二人の違いがどうしようもなく愛を引き裂く。そのとき、愛を選ぶのか、主義主張を選ぶのか、相手を尊重して歩み寄ろうとするのかどうか。二人の違いは別れなければならないほど大きな溝なのか? その違いを楽しむことはできないのだろうか? わたしにはケイティとハベルが別れなければならないほど大きな亀裂を抱えているようには見えなかった。二人は乗り越えられる。それはわたしの悲痛な願いでもある。


 けれど、二人が別れるのは必然であった。出会ったことが不幸だったのだろうか。もっとお互いが大人だったら、歩み寄ることができたかもしれない。本作を初見のときには、二人の別れが必然のものであったと理解することができたけれど、今回は、「なんとかならないのだろうか、この二人」と、ハラハラしてしまった。なぜケイティはもっと柔軟になれないのか? 祈るような気持ちで見つめていた二人の激高した言い争いの場面では思わず手を握りしめていた。ああ、やはりこの結論は動かないのだ。二人は共には生きられない。


 時が経ち、再会したケイティを見つめるハベルの瞳、その切なさが滲むラストシーン、”See you”と言って別れる二人にはもう二度と再び人生を共に歩む時はない、その絶望と後悔がひしひしと伝わる。涙腺決壊しました。
 

 「午前十時の映画祭」で「スティング」「明日に向かって撃て!」「追憶」と、立て続けにロバート・レッドフォードを観て、すっかり彼の魅力の虜になってしまった。昔はそれほどいいと思わなかったのに、今観ると、この頃のレッドフォードのなんというハンサムぶり、なんという演技力、なんという魅惑!


 学生時代から20年にわたる一組のカップルの出会いと別れ・愛憎を心憎いまでに鋭く描ききったシドニー・ポラックの演出と、主役二人の演技、そして音楽! この3拍子揃った空前絶後のラブストーリーに耽溺できるのは40歳以上の人でしょう。

 本作が100点でなく減点するのはどうしてもバーブラ・ストライザンドが好きになれないから。あの顔は苦手です。でも、昔は嫌な感じだった彼女が今は美しく見えるから不思議。歳を取ると、いろんなことが違って見える。この映画の良さがしみじみとわかるようになったのだから、歳を取るのは素晴らしいことだと思える。
 

 あまりにも懐かしかったので、古いパンフレットを引っ張り出してきた。パンフレットに書いてあった解説を読んで改めてわかったのだが、この映画を監督したとき、シドニー・ポラックは38歳。つい先頃亡くなったポラック監督にはお爺さんという印象があるのだが、当然にも40年前からお爺さんだったわけはない。むしろこのときは若手監督だったのだ。だから彼はハリウッドの赤狩りを同時代人として経験していない。


 それから、パンフレットでは言及されていないジェームズ・ウッズが、その後「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」「サルバドル/遥かなる日々」「ゲッタウェイ」などに出演する。今では強い印象を残すバイ・プレイヤーとして有名だ。
 

 ところで、パンフレットには、二人が別れた理由は、生き方が違うからというだけではなく、互いへの愛と思いやりゆえだったと書いてある。ケイティは自分と別れればハベルが赤狩りのリストから外されるだろうと思ったとか。うーん、そんなシーンはありませんでした。DVDのコレクターズ版には未公開シーンがあるとかで、どうしてもそれを知りたくてDVDで特典映像を見た。50分に及ぶ特典映像、これがまた面白くて全然飽きない。本編を見たらこれを必ず見なくてはならない! スタッフとキャストへのインタビューはおそらく1999年頃になされたと思うのだが、歳を取ってバーブラがとても美しく可愛いので驚いてしまった。


 削除されたシーンのうち、バーブラ・ストライザンドがいまだに「カットしたのは残念」というシーンは、わたしもカットの必要がなかったと思う。ぜひこの二つのシーンを加えて完全版を上映してほしい。カットされたのがいずれも政治がらみの場面であったことが意味深だ。試写会での観客の反応が悪かったためにカットしたとポラック監督は説明しているが、これは脚本家アーサー・ローレンツにとっても残念なことであったようだ。この作品に流れる思想はポラックのものというよりはオリジナル脚本を書いたアーサー・ローレンツのものと考えるほうがよさそうだ。


 観客にとって不評だった場面というのは、ケイティがブラックリストに載ったためにハベルが映画会社からクビになりそうになっている、というもの。ケイティは自分と別れればハベルの身分は保障されると考えた。この場面をカットしたために二人の離婚の直接の原因がハベルの浮気にあるように思えるが、実はそうではないのだ。
 

 ポラック監督は、ハベルという人間を魅力的に描いたつもりだと言う。そして、ケイティとハベルの両方を均等に描いたとも。確かにその通りで、この映画では二人のいずれかが「悪人」というわけではない。二人とも一途で真面目で、お互いに深く愛し合っているのに、それでもどうしても別れなければならない、そんな決定的な違いのある二人であることを納得させるためには、どちらかに非があるような描き方は間違っている。二人が深く愛し合っていたからこそ、十年後に偶然再会したときに、懐かしさに胸がふたがれる思いで抱擁し合うのだ。あの場面でのロバート・レッドフォードの瞳が素晴らしい。彼は目だけで最高の演技をした。そしてかぶさる哀切のテーマ曲、この場面を特典映像でもう一度見たら、また泣けてしまった。二人が「またね」と言って別れていく、その後にすぐバーブラの歌う”The way we were" の歌詞は、二人が歩んだ恋の道がどれほど素晴らしいものであったかを高らかに歌い上げる。

 ハベルのような人間を描くことの意味は、昔はよく理解できなかったが、今となってはよくわかる。ケイティと議論する場面で、「主義主張が大事か?!」とハベルが叫ぶと、ケイティはさらに大きな声で、「主義こそが大事」と言い返す。”principle"という単語が耳に付く場面だ。かつてのわたしもそうだった。今もかなりの部分でそう思っている。というのも、「主義」は人間性と無縁ではないから。しかし一方で今は、「大義」よりもその人となりこそが大事と思えるようになった。


 わたしの生涯のベスト10、その中でも恋愛映画のベスト3に入る作品。何度でも見たい映画。

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THE WAY WE WERE
118分、アメリカ、1973
監督: シドニー・ポラック、製作: レイ・スターク 、脚本: アーサー・ローレンツ、音楽: マーヴィン・ハムリッシュ
出演: バーブラ・ストライサンドロバート・レッドフォード、ブラッドフォード・ディルマン、パトリック・オニール