吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

コララインとボタンの魔女 3D字幕版

 これはもう驚嘆するしかない、驚異の技術。3D映画としては「アバター」の上をいく。我が家の子ども達が、繰り返し繰り返し繰り返し見た、あの!「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」の監督が作った映画。


 ストーリーよりもなによりも、「どうやって撮ったんだろう?」という興味が先走るというのも映画作品としてはどうよ、と思わないでもないが、でもやっぱりこの驚異の映像は、プリミティブな映画ファンを納得させるだけの力がある。人形が演技する「現実」世界にさらに異世界がある、という二重の不思議をストップモーションアニメで表現するというメディア的な面白さについては、既にネット上でも言及があるように、

「主人公が「眼をボタンにしろ」=「人形になれ」と脅かされる物語は、「ストップモーション・アニメによって生命を得た人形」が「人形になれ」=「映画というものの魔法を捨てよ」と脅かされる物語にも見えてくるのだ。(平沢薫、http://eiga.com/movie/54438/critic/

 ストーリー自体は既視感に溢れていて、「不思議の国のアリス」のような「千と千尋の神隠し」のようなお話なのだが、コララインが住むアパートの住民たちのバラエティに富んだキャラクターが魅力的で、やはり面白い作品には脇役が大事だということがよくわかる。彼ら・彼女らが見せてくれる不思議の国のサーカスなどはほとんど夏の夜の花火大会。これほど見事な演技をストップモーションアニメで表現したとは、人間の能力と忍耐の限界知らずの技に脱帽せざるをえない。


 そうそう、コララインという名前はやはり珍しいらしく、誰もが「キャロライン?」と聞き直すところが面白かった。彼女の名前がキャロラインではなくコララインであるところがそもそもこの物語のひねりの第一歩かも。正しく名前を呼んでもらえない少女がいつしか「コラライン」でなくてはならない存在になるまでの成長物語と見ることもできる。
 

 いよいよここまで3Dらしい映画ができてくるとなれば、問題は字幕だ。「アバター」のときは気にならなかった字幕が、今回はたいそう読みにくかった。3Dは画面の情報が多い上に字が浮き出てくるため、字を読んでいるとその情報を処理することができない。わたしのように字幕読みのプロでさえしんどかったから、字幕に慣れていない若者にはとうてい無理と思える。ここをどうクリアするか、あとはあのメガネのしんどさをなんとかしてもらえたら3Dも悪くはないと思う。

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CORALINE
100分、アメリカ、2009年
監督・脚本: ヘンリー・セリック、製作: ビル・メカニックほか、原作: ニール・ゲイマン、撮影: ピート・コザチク、音楽: ブリュノ・クーレ
声の出演: ダコタ・ファニングテリー・ハッチャー、ジョン・ホッジマン、イアン・マクシェーン