吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

剱岳 点の記

 「アイガー北壁」の感想をアップしようとして、去年の夏に見た「剣岳 点の記」のレビューを書いていないことに気づいたので、慌てて掲載。今となっては細部は全然覚えていないのだが……



 明治40年、前人未踏の剣岳への登頂を指令された陸軍測量手・柴崎芳太郎と彼を案内したシェルパー宇治長次郎たちの物語。何のために厳しい山に登るのかといえば地図を作るため。全国で唯一、その険しさゆえに測量ができていなかった剣岳への登頂を国家的使命として指令された柴崎が、2年がかりで登頂を果たすまでを描く。
 剣岳に登りたいから案内人を出して欲しいと柴崎が訪ねた村では、村長が「剣岳は信仰のための山だ。登ってはいけない」と拒絶する。このとき、人心の中には軍の要請に抵抗して「お国のため」という論理よりも共同体の論理を優先させる心性があった、ということなのだろう。明治40年、まだ日本は本格的に軍国主義に染まっていなかったということだろうか。この映画では軍がやたらとメンツにこだわり、日本山岳会との競争に勝つようにと柴崎を叱咤激励(というより脅迫)するのと対照的に、柴崎が仕事に打ち込む心性は淡々としているように見える。


 長らく撮影監督を務めた木村大作が70歳にして初めて監督したこの作品、木村は「ぼくは演出できないから」と開き直って役者たちが演じるままに任せたという。そのかわり、監督は徹底的にリアリズムにこだわり、CGは使わず、順撮りにこだわり、実際に役者たちを9時間歩かせてロケ地まで移動させ、過酷な自然状況のなかに立たせて否が応でも彼らが登場人物の心境になりきれるように追い込んだという。荷物になるからと誰も撮影現場に台本を持っていってなかったというエピソードにもびっくりである。そんなこともあってか、柴崎はまさに浅野忠信の個性がそのまま表れたような人物になっている。寡黙で、ひたすら仕事に打ち込む。常に何かを決意しているような瞳をしているけれど、表情は穏やかで静かだ。


 シェルパ役の宇治長次郎を演じた香川照之がやはりうまいし、いい役をもらって役得である。ただ、この長次郎と息子との親子の葛藤のエピソードはとってつけたようでなじまない。このあたりの処理が木村素人監督の限界なのかもしれない。また、最後の登頂成功場面が拍子抜けするほどあっさりしているのも驚いた。ドラマ的な盛り上がりに欠けてしまうのはいかがと思うがそれがまたいいのかもしれない。よくぞ撮ったと思う場面がいくつも登場し、まさに撮影監督木村大作の執念が結実した作品といえるだろう。この作品が日本アカデミー監督賞・撮影賞を受賞したということは、木村監督への「ご苦労さん賞」だったと思う。作品としてはもっと優れたものがいくらでもあったと思うが、こんな過酷な撮影は二度とできないかもしれない、という意味でも拍手。



 ところで、この映画を見た数日後、剣岳で60歳の女性が滑落死したというニュースを知った。気の毒な…。映画を見て納得したあの絶壁、あの厳しさ。映画を見て劔に登りたくなってもそう簡単には寄せ付けてくれない山なのだろう。まあわたしは一生登ることはない。そんな人間のためにこの映画はあると思う。


 その後正月に、実家の父が買った「剣岳」のDVDを見た。2枚組の本編よりメイキングのほうが面白いという困った作品だ。なにしろ「劔岳 撮影の記 標高3000メートル、激闘の873日」というドキュメンタリー映画が封切られてしまったぐらいだからね、作品そのものよりもメイキングのほうが撮影の苦労話がストレートに伝わって、その悲喜劇に感動する。


 DVDには剣岳に関係のない風景映像が付いていて、これは木村大作監督(というよりカメラマン)が28年かけて撮ったフィルム映像を編集したもので、バロック音楽とともに美しい四季折々の風景が現れる。まさに環境ビデオにぴったり。わたしが気に入ったのは四季の花々。雄大なコスモス畑はひょっとして淡路島の花さじき?


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139分、日本、2008年
監督・脚本: 木村大作、製作: 坂上順、亀山千広、原作: 新田次郎
出演: 浅野忠信香川照之松田龍平モロ師岡螢雪次朗仲村トオル宮崎あおい夏八木勲役所広司