吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

母なる証明

 人には、忘れていたほうがいい記憶の断片がある。忘れることによってのみ、幸せな人間関係を紡げることもある。しかし、ひとたびその記憶の扉を開いたときに、その扉をどのように閉めるのか、人は逡巡し、嘆き、慟哭する。


 この映画を、恐るべき母性愛の物語として語るのは簡単だ。事実、映画のパンフレットに記載されているのはそのようなコメントばかり。しかし、この映画を「記憶の記述」としてとらえたときには、別の局面が見えるのではないか?


 本作は、「殺人の追憶」(http://d.hatena.ne.jp/ginyu/20040410)に匹敵する秀作であるが、わたしが好きではない「殺人の追憶」のほうが思想が深く、作品としては優れていると思わせる。しかし感動するのは「母なる証明」のほうだ。わたしとて、「殺人の追憶」の作品としての完成度は評価するが、あれは好きではない。むしろ、本作「母なる証明」のほうがすんなりと受け止めることができる。わたし自身が「母」であるからだろうか。


 一度死んだ者を二度殺すことは許されない。この映画もまた、一度死んだ者(一度死んで生き返った者)を守ろうとする母の、「蘇った死者」への激しい愛を描く。その愛は、毀損されたものを取り戻すごとく、一層激しく飢(かつ)えたものとならざるをえない。


 殺人事件の犯人に捏造された息子の無実を晴らすべく、独力で犯人捜しを始める母の執念や、次々に明らかになる被害者少女の暗い生活など、サスペンスの風味が実にうまく効いている。一つずつのカットが絶妙にうまく、距離感のあるカメラが、アップとロングの対照も鮮やかに切り替わる。



 本当に記憶をなくしていたのは誰なのか? 誰が真実を知っているのか? 記憶の扉を閉じればそれで母の愛という罪深き業は永遠に封印されるのだろうか? 恐るべき作品である。

                                                • -

129分、韓国、2009年
監督: ポン・ジュノ、脚本: パク・ウンギョ、ポン・ジュノ、音楽: イ・ビョンウ
出演: キム・ヘジャ、ウォンビン、チン・グ、ユン・ジェムン、チョン・ミソン