吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

レニ

ナチスのプロパガンダ映画を撮ったという咎(とが)で、戦後、映画界を干された天才映画監督レニ・リーフェンシュタールのインタビュー。実に3時間を超えているのだが、女優時代のレニの主演作品や彼女の監督作品をかなり引用しているので、その映画の場面を見ているだけでもけっこう面白い。


 さすがに最後はちょっと長いなと思ったけれど、2時間過ぎまでは十分面白かった。怪物のようなおばあさん、レニにはまず驚いた。この映画を撮られたとき90歳。それでも矍鑠(かくしゃく)たるもので、自分を撮っているカメラマンに「その角度じゃだめよ」などと指図するところがすごい。このあとさらに10年以上長生きして、結局レニは101歳で亡くなった。71歳のときに51歳と年齢を偽りダイバーの資格を取ったくらいだから、彼女の体力と運動神経は並大抵ではない。


 美貌、才能、名声、体力、健康、すべてを持った誰もが羨むような女性なのに、彼女は悲劇の人だった。ナチスの党大会を記録した「意志の勝利」で注目を浴び、1936年ベルリンオリンピックの記録映画「オリンピア」二部作(「美の祭典」「民族の祭典」)で名声を不動のものとした天才監督だったというのに、彼女の作品歴を見れば、その後に作られた監督作品「ワンダー・アンダー・ウォーター」(2002年)まではなんと1938年から60年以上も間が空くのである。

 
 レニに罪があるとすればそれは彼女が政治に無関心だったこと。ナチスの罪悪に無頓着であったこと。彼女はひたすら自分の美学に忠実に映画を撮り、美学のためには記録映画を「ありのまま」に撮るのではなく、あらゆる演出をほどこした。その結果、彼女が撮った映像の力強さ統制の取れた美しさはファシズムの美学と一致し、大いにナチスのプロパガンダに役立った。しかし彼女は問う、「わたしの何が罪なのか?」と。ノンポリであったことが罪ならば、当時のドイツで無罪の人間はほとんどいないだろう。ユダヤ人絶滅収容所の存在も知られていなかったし、彼女がナチスに傾倒していたとしてもそれは大多数のドイツ人の心性と同じであり、それ自体を「戦犯だ」と責めることはできないのではないか?


 しかし、問題は、レニが桁違いの製作費をもらって思う存分映画を作ることのできる特権的地位にあったこと、ヒトラーの愛人とまで言われるほど権力に近い立場にいたことだろう。そのことを90歳の彼女は言い訳する。戦後50年間苦しみ続けたと訴える同じ口で、「いったい何が悪かったというの? わたしはナチス党員であったこともない」と力説する姿は確かに見苦しい。このインタビュー映画を撮ったレイ・ミュラー監督はそれでもレニを追及する。彼はレニの口から「謝罪」の言葉を聞きたいのだろうか? 若い世代にとって、レニを追及し論難することはたやすい。だが、同じ立場にあったとして、同じ映画監督として、思う存分の予算を与えられたら、それを蹴ることができただろうか? 自分の美学のすべてをかけて映画を作れる機会をあえて蹴ることがミュラーにも可能だったろうか?

 
 興味深いのは、レニがゲッベルスを嫌っていたという彼女自身の証言と、ゲッベルスの日記に書かれていることが食い違うという点。どちらが嘘つきなのか記憶違いなのかはわからないが、90歳のレニにとってはナチスは忌むべきものであり、ゲッベルスは唾棄すべき矮小な人間であった、ということだ。


 レニの生涯を哀れみをもって見ることも可能だし、責任逃れをする醜い老人として見なすことも可能だ。わたしはこの映画を見ている間じゅう、その二つの視点の間を揺れ動いた。そして今も揺れ動いている。あのとき、自分なら…。そう考えたとき、少なくともわたしはレニを非難することはできない。ヒトラーの真意を見破り、目の前の栄達と監督として好き放題に映画を撮ることのできる特権をあえて棄てることができたろうか。答えは出ない。なぜならわたしはレニではないし、レニにはなれないし、かつ、わたしがレニであったとして何ができたのか、答えることができないからだ。


 かえすがえすも、この美しい記録映画、「オリンピア」二部作が長くお蔵入りになっていたことが惜しまれる。その後撮られたあらゆるスポーツ映画の原点となった素晴らしい作品であるというのに。オリンピックの記録映画で「オリンピア」を超えるものはないと言われている。誰もレニを超えることはできないのだ。


 <芸術と政治>という古くからある論争が現代までこのように引き継がれているということは、決着のつかない問題なのかもしれない、と思う。「芸術」を「報道」とか「科学」と置き換えても同じ、古くて新しい問題はつねに存在する。


 レニの撮った「意志の勝利」を垣間見て、「金日成のパレード」(1989年、ポーランド)を思い出した。かなり格が違うようには思うが…(レンタルDVD)


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
DIE MACHT DER BILDER: LENI RIEFENSTAHL
182分、ドイツ/ベルギー、1993年
監督・脚本: レイ・ミュラー、製作: ハンス・ユルゲン・パニッツほか、音楽: ウルリッヒ・バースゼンゲ、ウォルフガング・ノイマン
出演: レニ・リーフェンシュタール