吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで

 かの「タイタニック」のヒーローとヒロインが再び共演すれば、そこに説明は要らない。二人は会った瞬間に恋に落ちるし、それは運命の恋なのだ、と観客は素直に納得する。従って、巻頭、二人が出会ってあっという間に恋に落ちる場面で、サム・メンデス監督(ケイト・ウィンスレットの夫でもある)は本来ならば説明しなければならない描写を一切省くことが可能となる。この映画は、大ヒット作の長く待たれた続編と考えれば、本作だけで完結する映画ではない。そこがテキストを超える読み込みが可能となるところであり、映画というものの面白いところだ。かつての画家志望だった若きジャックは今やニューヨーク郊外の瀟洒な一戸建て住宅からオフィスに通う凡庸なサラリーマン・フランクへと「転落」し、奔放な上流階級の娘だったローズは子ども達を愛する若く美しい妻エイプリルへと「落ち着いて」いる。

 かつての、身を焦がす恋に燃えた二人が、郊外の美しい町「レボリューショナリー・ロード」で人生を摩耗していくという物語が、既にして観客に無意識に納得させられる設定としてインプットされる。そして、愛し合った二人の何年後かの諍いの場面がいきなり始まる。映画が始まって数分にしてわたしたちは夫婦喧嘩の場面に遭遇させられるのだ。

 本作に登場するのは3組の夫婦。わが主人公ウィーラー夫妻は、知的なフランクと女優志望だった美しいエイプリル。ウィーラー夫妻の隣に住むキャンベル夫妻はどこにでもいる普通の夫婦であり、50年代アメリカの中産階級の価値観を代表するような二人だ。シェップ・キャンベルは密かに隣家の美しい人妻エイプリルに恋焦がれている。そしてもう一組は彼らに比べて1世代上のギヴィングス夫妻。ギヴィングス夫人(これまた「タイタニック」に出演していたキャシー・ベイツ)は不動産屋で、レボリューショナリー・ロードの瀟洒な家をウィーラー夫妻に売ったその人である。

 この3組の夫婦は互いに小さな秘密を持っている。ウィーラー夫妻は自分たちが特別な存在だと信じ込む自意識過剰な近代人の宿痾に冒されていて、「ここではないどこか」に飛翔する欲望をその胸にしまいこんでいる。良妻賢母の典型のような愚昧で人のいいキャンベル夫人は夫が隣家の妻に横恋慕していることに気づかない。Mr.ギヴィングスは難聴のため補聴器をつけているが、妻のおしゃべりが聞くに堪えないときはそっとそのスイッチを切ってしまう。夫婦というものの他者性を体現する3組のカップルにわたしたち観客はシニカルな人物観察を見る。

 中産階級の憂鬱は、1950年代だけではなく、後期資本主義の現在にそのまま通じる物語だ。だから、衣食足りて「自己実現」の欲望にとりつかれた一組の夫婦の破滅を描く物語として本作はまったく古びていない現代的意義を持つ作品と言える。……と、つい数年前までなら言っただろう。いえ、半年前もそう書いたと思う。しかし今や、その憂鬱を共有するはずの中産階級が急速にやせ細っている。未曾有の経済危機が中産階級を消滅させつつある。いや、正確には、消滅することはないはずのその階級の人々から「余裕感」や「富裕感」が奪われつつある。小金はあるはずなのに、彼ら彼女らの財布のひもは固い。お金はあるのに先行き不透明な経済情勢に不安を感じて、彼らは消費へと走らない。そして、中流から一気に下流へと転落しつつある大勢の労働者たち(といっても数はよくわからない)は、とてもじゃないが、「中産階級の憂鬱」を嘆くような余裕がない。今や、明日の職をどうするのか、が問題となる時代になってしまったのだ。「自己実現」のために今日を嘆き明日を夢見る余裕なんてない。

 ウィーラー夫妻は、エイプリルがパリ行きを言い出したことといい、最後の決着をつけたことといい、おそらくいつも妻が先導する関係にあったのではないか。だから、本作では常に善人は夫のフランクであり、欲求不満を募らせて苛立っているのは妻のエイプリルである。フランクは知的能力の高い人間であったにもかかわらず、優柔不断だ。フランクは愛する者のために自分の夢や野望を諦めてサラリーマン生活に安住し、郊外の芝生のある一戸建てに住むという50年代アメリカの夢に生きることにした。ひとえに妻や子のためなのだ。彼は身を粉にして働いてきた。それなのに、妻は密かにそんな彼に失望し、違う世界を夢見るようになっていたのだ。これはありきたりでかつわたしたちが避けることのできない病かもしれない。違う自分でいたい、特別な自分でいたい、評価されたい尊重されたい。そんな中産階級の憂鬱と欲望を今では不安定就労の若者が「希望は戦争」と声に出して訴えるようになった。衣食足りた人の憂鬱と衣食すらままならない階級の憂鬱が一致するとき、その憂鬱はどこへ暴走するのだろう?
 

 エイプリルがあと20年後の人間だったら! 50年代の彼女には選択肢がなかった。70年代の彼女にならカウンターカルチャーウーマン・リブもあっただろう。「クレイマー・クレイマー」のように子どもを置いて家を出ることだって可能だったのだ。そう考えれば、50年代の中産階級の憂鬱はやはり時代的制約を受けている。と同時に、今でもその憂鬱が現代人を揺さぶるとしたら、それは時代の流れを知った後の世代が知的に構築する憂鬱である。

 わたしはいつも思っていた。なぜ女だけが妊娠によって人生を切断させられるのか? なぜ女だけが人生を諦めるのか?と。それはあまりにも不公平なことに違いない。けれど、その不公平感を伴侶が埋めてくれればおそらくその欠落感や不満は癒されるに違いない。本作のエイプリルもまた、パリへの飛翔という非現実的な夢に浮かれた気分を、妊娠によって一挙に地上へと墜落させられる。なぜ妊娠という事実がこのように女の人生を、ひいては男の人生を奈落に沈めてしまうのか? 生まれてくる子どもの存在が桎梏であると知ったときに彼らの絶望は頂点に達した。


<以下、完全にネタバレ>




 エイプリルの死は本当に自殺なんだろうか? あれはかなりの確率、事故だと思う。もちろん、彼女は最悪の場合、自分が死ぬこともありえると覚悟していた。しかし、確実に死ぬ気ならもっと簡単な方法があるはず。それなのにあの方法を選んだということは、一つは夫へのあてつけ? そして、ひょっとしたら死なずにすむかもしれないというかすかな計算。そのとき、二人はやり直せるかもしれない。それは一種の賭だったのではないか? 本当に死ぬ気なら自分で救急車を呼ぶだろうか。

 あるいはまた、事故に見せかけた自殺ということも考えられる。自殺なら遺されたフランクが自分を責めるだろうから、その負担を減らすために、事故にみせかけた、とも考えられる。その場合は、エイプリルはやはりフランクを愛していたということだ。(原作では、フランク宛の遺書を遺していて、自殺ということになっているらしい)

 いや、やはりエイプリルはフランクを愛していた。あまりにも愛していたからこそ、自分たちの人生が毀損されたその原因が互いにあると思い詰め、相手をなじり、なじる言葉で自分自身を傷つけていた。だからエイプリルにとって最後の賭は自分たちが自由になるための勇気ある跳躍だったのだろう。原作ではっきり「自殺」とされている場面を映画ではあえて曖昧にした。そこには、サム・メンデス監督の、愛への悲痛な期待があるのではないか。

 いずれにしてもこの夫婦の愛憎は一筋縄ではいかない。一筋縄ではいかないものが夫婦というものだろう。激しく罵り合い傷つけ合ってもやっぱり愛している、と思い直してみたり、また喧嘩したり仲直りしたりの繰り返し。そうこうするうちに愛しているのか憎んでいるのかわからなくなる。

 エイプリルがフランクの浮気を知っても嫉妬も何も感じず、「あなたを愛していないの。なんとも思わないわ」と冷たく言い放つ場面は観客の心を凍り付かせる。彼女は既に夫への愛よりも自己愛に執着しているのだ。夫というもっとも身近な他者との関係よりも<自己実現>の欲望が彼女に取り憑いてしまったために、もはや夫を愛せない。彼女の夢や自由を束縛する夫という存在はそれがたとえ愛するフランクであってももう彼女にとっては鉄鎖でしかない。しかし、そのことが二人の前に明らかとなり、もはや夫婦の破綻が露呈してしまった翌日、何事もなかったかのように整序された食卓で、背筋も凍るような緊張感に満ちた朝食を摂る美しい夫妻は、やはり愛し合う瞳を互いに向けてしまう。フランクは前日の諍いが過ぎ去ったことに満足し、エイプリルは夫を罵ったことを贖罪するかのように完璧な朝食を用意して美しい笑顔を夫に向ける。この場面のあまりの緊張感に肩が凝ったほどだ。

 エピローグ、わたしたち観客は、可愛い子どもたちの遊ぶ姿を見つめる憂鬱なフランクを発見する。小さな秘密を抱えていた3組の夫婦は、その秘密の小ささに応じてほころびを見せた。最も満ち足りていたはずのウィーラー夫妻こそが誰にも知られてはならない過剰な自我に苦しむ二人だったゆえに、彼らこそが最大の破綻を経験した。50年代の価値観に素直に生きたキャンベル夫妻は小さな秘密を抱えたまま、愛し合って生涯を終えるだろう、妻のおしゃべりに補聴器を切ってしまうギヴィングス夫妻のように。

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レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで
REVOLUTIONARY ROAD
アメリカ/イギリス、2008年、上映時間 119分
監督: サム・メンデス、製作: ボビー・コーエン、原作: リチャード・イェーツ、脚本: ジャスティン・ヘイス、音楽: トーマス・ニューマン
出演: レオナルド・ディカプリオケイト・ウィンスレットキャシー・ベイツマイケル・シャノン、キャスリン・ハーン、デヴィッド・ハーバー、ゾーイ・カザン、ディラン・ベイカー、ジェイ・O・サンダース、リチャード・イーストン