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吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

二十四時間の情事(ヒロシマ・モナムール)

 再チャレンジでやっとこさ全部見た。これ、要するに記憶について語っているのね。被害の記憶、過去の傷についての記憶。しかし、映画として成功しているとは思えないのだけれど…。

 モノクロの画面が過去と現在とを往還し、現在の場面ではアップを多用して登場人物の心理を剔抉することにカメラ=観客の意識は凝縮される。過去は遠い夢の世界のように描かれ、ドイツ兵を愛した若きフランス女性の悲しみが淡々と語られていく。フランス人女優と日本人建築家が24時間だけのゆきずりの情事に耽り、ただひたすらフランス語で会話するだけの映画。会話と言っても語るのはフランス人で、日本人は聞き手に徹する。舞台はヒロシマ。戦争の傷跡をともに引きずる人と街。夜の広島は眠らない。女も眠らない男も眠れない。
 

 岡田英次のバタ臭さに驚いた。甘いハンサムでフランス語をしゃべる日本人男性というのは日本人から見ればとてもキザだ。女優も美しいし、美しい二人の顔が何度もアップになるので、それを見ている分には苦にならないのだが…。

 映画の構成も演出も前衛的で、夜の場面ばかりが映るカメラは凝っているのだけれど、わたしはこういう映画を見るとむしろ原作を読みたくなる。映画の題材には向いていないような気がするのだ。原作を読んで続きを書こう。

 というわけで、原作(というより、脚本および膨大な脚注の束)『ヒロシマ私の恋人』を読了。なるほど、これを読めば映画のことがよくわかる。バタ臭い俳優を起用したのはそのようにちゃんと脚本に注文があるからだし、女性が台詞棒読みのようなしゃべり方をするのも脚本の通り。映画はかなりデュラスの脚本に忠実に作ってあることがわかる。この脚本であの映画だから、逆にすごい作品だということもわかる。描ききれない部分は確かにあって、それは映画では無理なのだろう。その代わり映画では夜の街をさまよう二人が亡霊のように描かれて、ともに固有名詞をもたない男と女の一夜の情事が寓話性を強める。二人は固有名詞の代わりに最後に「ヌヴェール」と「ヒロシマ」という町の名前で呼ばれる。この二つの町の惨禍は人間から固有名を奪う。

 続いて下のエントリーでこの原作について分析したカルースの本について触れる。(レンタルDVD)

二十四時間の情事(ヒロシマ・モナムール)
HIROSHIMA, MON AMOUR
フランス/日本、1959年、上映時間 91分
監督: アラン・レネ、製作: サミー・アルフォン、永田雅一、原作・脚本: マルグリット・デュラス、音楽: ジョヴァンニ・フスコ、ジョルジュ・ドルリュー
出演: エマニュエル・リヴァ、岡田英次、ベルナール・フレッソン、アナトール・ドーマン