吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

クラッシュ

ginyu2006-03-29 クラッシュ CRASH、衝突。それは自動車の衝突であり、人と人の衝突であり、異なるエスニシティ同士の衝突である。衝突を避けたいなら、触れ合わないことだ。だが、それではあまりにも寂しいというもの。そして結局のところ、衝突は避けられない。 

 さすがは「ミリオンダラー・ベイビー」の脚本家だと言うべきか、いや本作は「ミリオンダラー・ベイビー」よりも前の作品で、ポール・ハギスにとっては初監督作である。初監督作でこの出来! これは、ここ数年で最も優れた脚本だ。1年に何本の映画が作られるのかは知らないが、1000本に1本の優秀作だと言いたい。最初から最後まで無駄な台詞はひとつもない。すべての伏線が複雑な構成の中で見事に活かされ、最後に切なさとやりきれなさとそして温かさを残していく。

 この映画のテーマは単純だ、「人種差別はいけません」。この単純なことを訴えるためにポール・ハギスは様々なエスニシティの物語を用意した。10数人にも及ぶ登場人物たちの物語をきちんと観客に伝え、それぞれの関係のすれ違いや絡み合いを短い台詞で的確に伝え、「社会的差別」がそれほど単純ではないこと、わたしたちが常に「物語」に裏切られ続けていることを示す。

 「人種」とエスニシティの坩堝、ロサンゼルス。街を走る車が衝突事故を起こせば、相手が英語を理解しないことなどいくらでもある。「このメキシコ女が! あんたが悪いのよ、どこ見て運転してるのさ!」とわめく女は中国系で、「黒人にだけコーヒーのお代わりを持ってこないぞ、あのウェイトレス」と文句をたれる黒人の若者はそもそもコーヒーなんて飲まないのだ。この、冒頭のつかみの部分のうまさ。そしていきなり様々な人間模様がモザイクに組み合わされていくスリリングな展開へ。すれ違う人と人。ふつうの映画なら描かない、そういうすれ違う人生の一つずつにもきちんと物語が用意されている。

 そして、クラッシュするのは異なるエスニシティどうしだけではない。同じ黒人どうしが、家族が、夫婦が、諍いや心のすれ違いを経験する。彼らもまたクラッシュを通じて葛藤と誤解と憎しみを募らせる。円満なはずの黒人アッパー階層夫婦に亀裂が入る原因は「外部」にある。外部とのちょっとしたクラッシュが、黒人演出家の胸にこれまで感じたことがなかったかもしれない差別へのどす黒い憎しみと憤懣を生む。その怒りがまた新たな事件を生み、意外な展開を見せる。

 一つの事件はささいなきっかけでも、それが後々に大きな問題や事件へと発展する芽を孕んでいる。いくつものエピソードは大事件になる寸前で事態を回避するかと思えば、あるエピソードは取り返しのつかない事件へと発展する。その紙一重の運命の岐路を思うとき、わたしたちはままならぬ世を生きていることの絶望に呆然とさせられる。差別する心はほんとうのところ、どこから生まれてくるのか? それは侮蔑や憎しみからではない。恐怖だ。差別を生む源は恐怖心なのだ。最後に配置された二つの正反対の結末がそれを教える。

 アメリカ社会の冷酷さを皮肉をこめて描写するだけに終わらせず、最後にほろ苦くも希望を残したことがこの映画の救いになっている。

 これはわたしにとって本年度ベスト1作品、かもしれない。映画全体の出来は小粒だし、映像的にも凝ってないし、とびきり魅力的な俳優が出ているわけでもないので、総合点では他の映画を凌駕できないかもしれないが、構成・脚本の巧みさは絶品。大きな感動に胸が満たされるというような感情を揺さぶる作品ではないが、確実に知性に訴えてくる。見事な構成は大向こうをうならせるだろう。シネ・フィルなら必見の上にも必見。もちろん、複雑さを競う技術的なウケを狙っただけの作品ではありません。人間観察の鋭さ、社会批評の的確さはポール・ハギスの深い知性と人生観の賜物でしょう。

 中国経済研究者の梶谷懐(梶ピエール)さんがこの映画について高く評価しながらも
《「各エスニックグループについて観客の感情移入を可能にする「固有の事情」が描かれるのに対して、アジア系住民だけはそういった描写がなく、結果として何を考えているのかわからない、感情移入の極めて難しいいわばゾンビのような存在として登場する》という問題点も指摘されているので、参考までに。全文はhttp://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20060307

Crash
112分,アメリカ合衆国,2004
製作・監督・原案・脚本: ポール・ハギス,共同脚本: ボビー・モレスコ、音楽: マーク・アイシャム
出演: サンドラ・ブロックドン・チードルマット・ディロンジェニファー・エスポジートウィリアム・フィクトナーブレンダン・フレイザーテレンス・ハワード、クリス・“ルダクリス”・ブリッジス、タンディ・ニュートン