吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

ある子供

 18歳と20歳の若いカップルの生きる困難を淡々と綴ったドキュメンタリータッチの作品。子供をいとも簡単に売り飛ばす若い父親に未来はあるのだろうか……?

 ダルデンヌ兄弟の作品を見るのはこれが2本目。「息子のまなざし」(2002年)は力作には違いないのだが、画面の揺れが激しくて体力的に消耗してしまったのが辛かった。この作品もやはり同じような作りだ。音楽無し、カメラはすべて手持ちのアップ多用、淡々と描いているようで計算されつくしたカメラワーク、映画の視点をするりと変えてしまう巧妙なカメラ。「息子のまなざし」よりも画面はかなり見やすいし、何よりヒロイン・ソニアを演じたデボラ・フランソワの愛らしさとか、映画的には美しい要素があって好感が持てる。

 ダルデンヌ兄弟の「社会派」ぶりは、実は「社会を描かない」ところにある。ベルギー失業率が何パーセントなのか、若者はどのように困難な状況にあるのか、人身売買組織の実態はどうなのか、母子福祉の現状はどうなっているのか。などなど、この映画ではなにも説明がない。ブリュノという子供のままの青年のだらしなさや自堕落さは何が要因なのかも説明がない。ブリュノの恋人ソニアはどうやって日々の糧を得ているのか、そもそも二人はどういう馴れ初め・つきあいなのか、それも説明がない。
 だが、一切の説明を省いたためにかえって彼らが抱えている困難の一般性が浮き彫りになる。おそらくブリュノは母子家庭の息子なのだろう。ろくに教育も受けず、定職もなく、かっぱらいでその日をしのぐ。そんな生活を知っていてソニアは彼の子を産んだようだ。
ベルギーの若者が抱える問題について日本の観客の想像をかきたてるこの作品は、無言で「子供が成長できない社会の責任」について考えるよう促してくる。

 映画はソニアが生まれたばかりの赤ん坊を抱いてアパートに戻ってくる場面から始まる。彼女の部屋には見知らぬ男と女がいて「1週間の約束で借りた」というではないか。部屋で自分と赤ん坊を待っているはずのブリュノは川原で寝泊りしているようだ。ソニアが出産のために入院している間、小銭稼ぎのためにブリュノは人に部屋を貸してしまったのだろう。
 ブリュノとソニアは赤ん坊を抱きながら子犬のようにじゃれ合い、笑い、明日待ち構えている困難を今日は忘れて生きるような刹那的な若者に見える。ソニアが若くて母親にはとても見えないし、お産の直後にしては元気がありすぎるのも不思議だ。
 この、若々しく初々しく可愛らしいカップルにはお金がないという現実が待ち構えている。盗みを重ねて生活するブリュノは、子どもを売れば金になると教えられて、なんのためらいもなく息子を売ってしまう。ソニアに「赤ん坊はどうしたの」と詰め寄られても「子どもなんてまたできるよ」と返答するようなどうしようもない男なのだ。ショックのあまり卒倒するソニア。彼は初めて自分のしたことに気づく。

 わたしはブリュノには嫌悪感しか感じない。なんという男だろう。こんな奴が許せるか?! なんでこんな男に惚れるのか、ソニアもわからない娘だ。だが、映画はブリュノの情けなさを映し出しつつ、いつのまにか観客を彼の視点に立たせてしまう。引ったくり事件を起こしたあと警官から逃げ惑う彼の姿を写すカメラが、ふとブリュノの視点に変わる。警察は自分を見つけただろうか? ドキドキしながらそっと様子をうかがう彼の姿は観客自身と重なってしまう。そして、このあと彼がとる行動について、おそらく多くの人が「ほっ」とさせられるだろう。

 「ある子供」とは、売られてしまった子どものことではない。わが子を売ってしまった父親という「親になれない子供」のことを指している。ブリュノに象徴されるような若者たちに未来はあるのだろうか? 決して遠い国のわが身と無関係な話とは思えないリアルさで迫ってくるこの「現実」に身震いせずにはいられない。あの若者の姿はわが子の数年後ではないかと危惧してしまう。

 ラストシーンは感動的だ。だがこの感動は決して明るくはない。希望は確かにあるのだろう、いや、あると思いたい。たとえ細い一条の光しかなくても、そこに明日を見ることこそがこんな「子供」たちを育ててしまったわたしたちの責任だと痛感した。

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L' ENFAN
95分、ベルギー、フランス、2005
製作・監督・脚本: ジャン=ピエール・ダルデンヌ、リュック・ダルデンヌ 
出演: ジェレミー・レニエ、デボラ・フランソワ、ジェレミー・スガール、ファブリツィオ・ロンジョーネ、オリヴィエ・グルメ