吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

殺人の追憶

 無能な田舎刑事を演じたソン・ガンホの名演に拍手。まさに役にうってつけだ。彼と相棒の刑事二人がバカ丸出しで、たいへんコミカル。


 悲惨で暗い話のはずなのだが、随所に戯画的な演出を挟み込んで重々しさを緩和している。ただ、そういうマンガチックな演出が完全に成功しているとは言い難い。映画を見ているときには気にならなかったし、むしろ笑って楽しんで見ていたわけだが、後になってだんだん引っかかるものを感じ始めた。この引っかかりはいったい何なのだろう?  1986年から1991年にかけて韓国の農村で起こった連続強姦殺人事件をもとに作られたフィクション。犯人は未だに見つかっていない。
 という字幕が最初に現れる。フィクションと断りながらも、実際に起きた事件を扱っているわけだから、観客の胸には実話の錘がまずズンと落とされる。未解決ということは、最後まで犯人がわからないんだ、ということもまず呈示されている。ただし、フィクションと断るだけあって、そこにはやはり「犯人」を名指すヒントやタネが仕込んであるのではないかとこれまた観客の期待をそそる。

 のっけから、見せ方が巧い。バッタを掴もうとする子どもの表情のアップからいきなり引いて広大な水田の全景を見せるカメラの動きがよい。この作品に何度も登場する、地平線まで見渡せる田のシーンがたいへん印象的で、これと好対照に不気味で殺伐としたセメント工場の建物もまた何度も風景として映し出される。このように、猛スピードで近代化と「民主化」へと向かう韓国の風景を監督は巧みに切り取り、心象風景としても織り込んでいく。
 ただ、この地平線が見えるような田園風景というのはわたしが知っている韓国の景色とは全然違う。また、この映画に描かれた農村はとても貧しい。人々の部屋は小さくあばら家も多く、食堂も汚く古い。わたしがはじめて韓国へ行ったのは1979年だったと思うが、その頃、古都大邱市であっても日本に比べれば貧しい田舎町のような印象を受けたし、何よりカービン銃を構えた兵士が街角ごとに立っているのも異様な光景だった。午後5時にデパートにいれば毎日、国歌「愛国歌(エグカ)」が流れるという戒厳令の国だったのだ。この映画の時代は1980年代後半。ソウルオリンピックの前までは、韓国の農村というのはこんなにまだまだ貧しかったのかと改めて感じ入った。


 本作では、その当時の日常風景の中にたくみに灯火管制や防災訓練、軍事独裁政権への反対デモなどを盛り込んで、時代背景を説明している。そして、何度も現れるセメント工場の高い建物が不気味であり、またそこに働く労働者は皆、顔がわからない。顔の見えない人間ばかりなのだ。匿名の海に沈んでいく労働者、その疎外された人々の閉塞した状況もまた映像で表わされている。


 ただし、ストーリーは猟奇殺人事件の真相を追うというサスペンスであり、またユーモラスな場面をふんだんにとりいれたエンタメ作であるため、事件の謎解きにばかり気を取られていると、こういったメッセージをぼうっと見落とす可能性は高い。


 この物語が観客に投げかけるメッセージは「暴力」だ。ほんの15年ほど前まで韓国社会の日常いたるところに存在した暴力の爪あと。犯人が若い女性をなぶり殺しにする陰惨な暴力、警察が拷問によって捏造する冤罪、学生デモと機動隊が対峙する暴力、いずれも根は同じところに巣食う。
 いちばんの暴力はひょっとしたら、正義の味方として登場した若きエリート刑事が見せる犯人への憎悪かもしれない。証拠がなくても犯人に間違いないと確信すれば、容疑者を自らが裁こうとする傲慢。しかも、その心情を観客が感情移入して賛同してしまうという怖さ。


 何より怖かったのは、ラストシーンの科白だろう。誰もが猟奇殺人に手を染める可能性がある社会。いま、わたしたちはそんな社会に生きている。

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130分、韓国、2003
監督: ポン・ジュノ、脚本: ポン・ジュノ、シム・ソンボ、撮影: キム・ヒョング、音楽: 岩代太郎
出演: ソン・ガンホキム・サンギョン、パク・ヘイル、キム・レハ、ソン・ジェホ