吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

一万人の第九

 大阪城ホールの天井近くに据え付けられたモニターは、オケに微笑みかける佐渡裕を映し出していた。
 指揮者佐渡裕の指揮棒の先からほとばしる情熱に応えて流れる曲は、ベートーベンの交響曲第9番ニ短調<合唱付き>。
 時に厳しい表情になり、時に感激にむせぶようにそりかえり全身で感動を表す佐渡裕のはじけるような巨体に、オケも一万人の合唱団も魅せられた。モニターに大写しになった佐渡さんの夢見るような表情に見入りながら、わたしは「この人はほんとうに音楽を愛しているんだ。音楽が好きで好きでたまらないのだ」と心打たれた。

 会場の大半は合唱団が占めている。スタンドもアリーナも合唱団の衣装で女声席は白く、男声席は黒く塗り分けられている。一万人の合唱団に取り囲まれたドーナツの穴に観客が座っているという、壮観な図だ。そのアルト席の中に自分がいることが信じられないような気持ちだった。10月の半ばから6回のグループレッスン、一回の佐渡レッスン、前日のリハーサル、そして当日のリハーサル、とこなしてきて、いよいよ本番。7日の本番当日は朝9時過ぎから会場入りし、公演開始が午後3時。終演時刻は6時なので、9時間近い激務をこなしたわけだ。前日の夜は早く眠ればいいものを、1時半までDVDを見ていたものだから、眠くってしょうがない。リハのときは第3楽章終わりまでほとんど居眠り。本番ですら、第2楽章の終わりまで気持ちよく眠ってしまった。

 第一部の森山直太朗の歌は美しかった。リハーサルのときは声をけちっていたのか、少しがさついた声も出していたが、本番ではさすがにプロらしく堂々たる歌いっぷり。オケは関西8大学選抜学生による素人演奏が中心なのだが、これまたリハーサルとはうってかわって、本番では素晴らしい演奏だった。やはり本番になるとテンションが違うんだろうか。
 TVを見ないわたしは、「森山直太朗? 誰それ?」と思っていたのだが、実物を見て、「まあ、かわいいやんか、イケてるやんか」とすっかり気に入ってしまった。ヒット曲「さくら」はもちろん曲想じたいが素晴らしかったし、バックコーラスをつけた合唱も美しく壮大だった。この歌は桜の散る季節の出会いと別れ・旅立ちを歌う節目の歌だ。これからも人生の節目に何度も思い出すに違いない。

 「一万人の第九」のノリのよさは大阪独特のものだろう。全世界どこへいっても、第九を歌おうという人が一万人も集まるのは大阪だけだという。リハーサルも爆笑の渦だった。佐渡さんは軽妙な関西弁でジョークを飛ばしながら楽しく指揮をし、合唱団も広い会場の中で大声を張り上げて指揮者に突っ込みをいれる。佐渡さんが「Bruderや、Bruder! これが大事なんや」と叫ぶと、ウィーンからの奏者がたちまち発音訂正の横やりを入れるというおもしろさ。(註:Bruder の「u」 は「uウムラウト」)
 
 一万人が一斉に立ち上がる第4楽章のバリトンソロの直前は、とてもおもしろい見物だ。ティンパニーの連打を合図に一瞬で一万人が起立し、会場のライトも一挙に明るくなる。その瞬間は鳥肌が立つような爽快さ。第4楽章が始まると男声席が居住まいを正すのが感じられる。そして、いよいよ立ち上がる数秒前、腰を浮かせる準備を始める男声の挙動の雰囲気がアルト席に伝わってきて、合唱団の緊張が暗い会場内に一瞬に伝わるのがよくわかる。これも実際に歌ってみなければわからない醍醐味だ。

 一万人の歌声の迫力はとても言葉では表現できない。自分の声すらどこに届いているのかよくわからないぐらいのものすごい音量。とりわけ最後のコーダでは背筋に寒気を感じるような感激を味わう。最後の歌詞「funken!」を地面に叩きつけるように歌い終わると、オケの全力のコーダが始まる。ここは、思わずからだが動いてしまうようなスピードと大迫力。指揮者のタクトがピタリと止むのを待ちかねて「ブラボー」の大声が男声席からわき起こり、誰よりも大きな拍手を出演者自らが叩く。

 その後の拍手がまた体力勝負なのだ。ずっと立ちっぱなしで拍手のし通し。佐渡さんは何度も拍手に応えてカーテンコールに登場した。最後の最後は、客席も一緒に歌う「蛍の光」。ホールの入り口で配られたペンライトを合唱団も観客も振りながらの斉唱だ。ライトを落としたホールの中では、緑色の一万5千個の光が右に揺れ左に揺れ、今年一年を想う歌声が響く。

 わたしにとって今年は辛い年だった。悲しい年だった。親しい人を亡くし、別れのつらさをいやというほど味わった。2月に亡くなった友人、10月に亡くなった義妹……ご近所のご主人がまだまだお若いのに亡くなったのも残念でならなかった。今年は、別れが多かった。そんな気がする。

 2003年よ、さようなら。そういう思いで歌っていると、思わず臓腑を抉るような重りが胸に落ちてくる。そのままその感情に身を任せると号泣しそうだったので、ぐっとこらえて最後までちゃんと歌おうと思った。

 イラクで戦争があり、多くの人々が亡くなった。けれど、戦場はそこだけではない。死者は今だけではない。佐渡さんは、「僕は政治家ではないけれど」という前置きをして、「<すべての人々が兄弟になる>。イラクで戦争があった今年こそ、その歌詞を噛みしめてほしい」と合唱団に語った。今年こそ、「Bruder」(兄弟)という言葉が大事なのだ。この言葉を大切に歌ってほしいと佐渡さんは何度も言った。
 
 平和だからこそ、のほほんと歌など歌っていられる。わたしたち日本に住む者は、ほんとうにありがたい生活をしているものだと思う。歌をはじめとする音楽は、平和でなければこのように楽しめるものではない。振り返れば、大阪には1万人もの野宿生活者がおり、イラクだけではなく、内戦の止まないアフリカ各地、チェチェンパレスチナ……。「歓喜の歌」を歌えない人々のなんと多いことか。耳が聞こえなくなったベートーベンが絶望に打ち勝って作曲したこの第九交響曲を、21世紀に生きるわたしたちはどのように受け止めるのか。これまで何気なく聞いてきた第九交響曲が、人類至高の音楽のように思えたのも不思議だった。

 オリエンタリズムフェミニズムも容易にベートーベンを批判できる。文化大革命のときにはモーツァルトだけではなくベートーベンも排撃の対象だった。けれど、今思うのは、これだけ愛される「第九」にはやはり愛されるだけの理由があるということ。3ヶ月間ほとんど第九ばかりを聞いていたのに、わたしはまったく飽きなかった。たぶん、まだこの音楽の深みは理解していないと思う。若い頃、歌なんて歌って世の中が変わるものかと思っていた。今でもそう思う。ただ、今は「ひょっとしたら変えていけるかもしれない」というかすかな希望を感じている。歌だけではダメだろう。けれど、歌さえ歌えずに何がわかるだろう。そんな気がする。 

 いえいえ、そんな理屈は合唱当日には何も考えていなかった。ただ、せいいっぱい歌おう。それだけを考えていたのだ。そして、少々歌詞を間違えようが音程が不確かであろうが、とにかく思いっきり声を出して歌った。一万人以上の人々と心を合わせて歌った。佐渡さんの絶妙の指導にも乗せられた。若いオケの背中を見てその若さに羨望も期待もした。2003年、今年の一万人の第九はわたしにとって初めての、そしてきっと忘れられない歌声となるだろう。

 最後に、特に3人の女性に心からのありがとうを言いたい。彼女たちがいなければ、わたしは第九を歌えなかった。

 初心者なのに経験者クラスに潜り込むことができたのは、事前に練習用テープと楽譜を送ってくれたchioさんのおかげだ。<ありがとう。あなたのおかげで、存分に自習できました。あのテープがどんなに役に立ったか>。
 そして、一緒に歌ったamakoさん。彼女の揺るぎない音程のおかげでわたしはずいぶん助けられた。とてもじゃないが、一人では練習に参加する勇気もなかったのだ。<ありがとう、あなたの音を聞いていつもわたしは自分の音を確かめていました。最後まで不確かな音は直せなかったけど、一緒にいてくださったことがどんなに心強かったか>。
 そして野枝さん。わざわざ名古屋から第九を聴きに大阪まで出てきてくれた。彼女がどんなに苦労してチケットをとろうとしてくれたか、その苦労話にはありがたくてただ頭が下がる。<ありがとう、あなたのゆったりした時間の流れはわたしにはとても新鮮で、一緒にいられた二日間、何もかもが嬉しかったです。これに懲りず、またいらしてください>。

 もちろん、そのほかにも励ましてくださった人々すべてにお礼をいいたい。そして、母が練習で夜遅くなっても文句を言わずに留守番してくれた息子たち、君たちと一緒に歌いたいよ。大きくなったら一緒に歌おう。絶望と苦しみの淵から、ベートーベンは「歓喜」にたどり着いた。わたしたちもかくありたい。
 公式サイトはこちらhttp://mbs.jp/daiku/2003/

 ※TV放映は12月23日午後3時55分から、毎日放送で。見てね!