吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

哀しい国の物語

 昔むかし、哀しい国がありまして、王女様は毎日泣いてばかりいました。
 誰が慰めても王女様の悲しみは癒えません。道化が毎日おもしろおかしい芸を王女様に見せるのですが、王女様は悲しい瞳をじっと道化に向けるだけでした。どんなに皆が腹をかかえて笑い転げる芸をみせても、王女様だけはちっとも笑ってくれません。大きな瞳に涙をいっぱい浮かべるばかりでした。

 とうとうある日、道化は万策尽きて王女様に尋ねました。
 「姫様、どうして毎日泣いてばかりいるのですか。何があなたをそんなに悲しませるのですか」
 すると王女様は悲しい目をして答えました。
 「わたしの左手が悲しいのです。毎日、左手に悲しみが走るのです。どこか、遠い国から毎日毎日わたしの左手に悲しみが伝わってくるのです」
 道化は不思議そうな顔をして、首をひねりました。
 「はて、遠い国から悲しみがやってくるというのですか。それはどこからでしょう」
 「わかりません。ずっと遠い遠い国からです。毎日悲しい風が吹いて、わたしの左手を震わせるのです。それは深い深い海の底に静かに横たわる石が波にさらわれて流す涙よりももっと悲しく、高い高い山が雲に別れを告げて流す涙よりももっと悲しく、暗い暗い森が嵐になぎ倒されて叫ぶ悲鳴よりももっと哀しいのです」

 道化は、王女様の悲しみを断ち切るために、王女様を連れて遠い旅に出ました。王女様の左手に悲しみをもたらす風の源を探して、何年も荒野をさまよいました。

 そしてある日、おなかをすかせて二人は小さな国にたどり着きました。その国の城門で、二人は不思議な話を聞きました。
 「我が国の王子様は毎日泣いてばかりいるのです。誰が何を言ってもどんなに慰めてもおもしろおかしな芸を見せても王子様は泣いてばかりいるのです。見ればあなたたちは道化のようですね。どうか、王子様を慰めて笑わせて差し上げてください」
 「王子様を笑わせることができれば、おなかいっぱいご馳走にありつけるでしょうか」
 「もちろん、我が国の王様は、王子様を笑わせることができた者には望みの褒美をつかわすとおっしゃっております」

 道化は大喜びで、城へと上がりました。王女様は長い旅に疲れて、もうとても王女様にはみえないみすぼらしい姿になっていました。
 汚ならしい二人を見てお城の門番は門前払いを食らわそうとしましたが、「まあ、だめもとで、この二人を王様にお目通しさせてみるかな」と思い直しました。
 王子様の前に通された二人は、王子様の悲しい瞳が王女様にそっくりなことに驚きました。
 王子様と王女様は目を見合わせたとたんに、 「あっ」と小さな声を上げました。そして、王子様は泣きながら、震える右手を王女様の左手に重ねました。たちまち二人はよりいっそうの哀しみに包まれて、大泣きに泣き始めました。あまりにも大きな声で泣いたので、お城がゆさゆさとゆれたぐらいです。
 
 道化はうろたえました。何とかして王子様を笑わせようとありったけの芸を披露しました。ここでがんばらねばご馳走にありつけません。もう腹が減って目が回りそうなのをこらえて、必死でありとあらゆる芸を繰り出しました。
 けれど、王子様どころか、王女様まで一緒になって泣きに泣くではありませんか。二人はしっかり手を握りあったまま、三日三晩、泣き続けました。

 王様は激怒しました。
 「これはいったいどうしたことか! 王子はますます涙にくれているではないか。そんな道化は打ち首にしてしまえ」
 それを聞いて王子様はしゃくりあげながら言いました。
 「いいえ、父上、わたしはわたしがなぜ哀しいのか、やっとわかったのです。わたしの右手はいつも哀しみに満ちていました。それは、この姫の左手を呼んでいたのです。やっと、わたしに哀しみをもたらす左手に出会えました」
 「すると、その姫?の左手がそなたに哀しみをもたらしていたのか? 姫とも思えぬ小汚い娘だ。そのような哀しみの左手は切り落としてしまえ」
 「いいえいいえ、なりませぬ。姫の左手はわたしにはなくてはならないもの」
 「ではその姫の左手があれば、そなたの哀しみは消えてなくなるのか?」
 「いいえ、残念ながら、わたしたちは3日間こうして手を握りあっていましたが、いっこうに哀しみは収まりません」
 「では何の役に立つというのだ、その手は」
 「哀しみがなくなるわけではないのですが、わたしたちがこうして手をつなぎあっていると、二人の哀しみが互いのぬくもりを伝わって、誰にも知られることのなかった深い海の底の石が砕けて砂となり高い山のいただきに雲がかかって暗い森に影を落とすその瞬間の大地の身もだえが心を満たすのです。わたしたちは、互いの哀しみに寄り添いながら共にこの哀しみを悲しむことができるのだと、涙を流して幸せにひたっているのです」
 「どうもよく訳のわからないことを言っているようだが…」

 と、そのとき、三日三晩飲まず食わずで必死の芸を演じ続けた道化がばたりと倒れました。王女様は驚いて王子様の手を離すと、道化にしがみついて泣きました。
 「道化や、どうしてわたしをおいて逝ってしまうの」
 みすぼらしくしなびた道化の死にかけの姿は、哀れさよりも滑稽さを生んでいました。その顔は醜くゆがみ、泣き笑いのような不思議な表情を見せていました。手足は奇妙にねじ曲がり、ひくひくと踊っているようでした。そのあまりにも珍妙な姿に、王女様は泣くのを忘れて思わず道化から体をはなすと、大きな目と口を開けてまじまじと彼を見つめました。そしてとうとう堪えきれずにぷっと吹き出すと、大笑いを始めました。するとたちまちその笑いは王子様に伝染し、王子様も大声で笑い始めました。二人はおなかを抱えて笑い続けました。

 やがて断末魔の「ひいっ」という小さく鋭い一声を残して、道化は死んでしまいました。

 その後、王子様と王女様はいつも仲良く手を握りあって暮らしました。ときどき二人は哀れな道化を思い出して深い悲しみにくれましたが、そんなとき、王女様の左手は王子様の右手としっかりつながれていました。手を握りあっても哀しみがなくなるわけではないことを二人は知っていましたが、それでもつながずにはいられない二人なのでした。

 王女様は、道化が死ぬ間際に左手を差し出したことに気づきませんでした。一生気づかぬまま、王女様は右手がなぜ寂しいのだろうと、ときどき不思議に思いました。   おしまい。