吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

マグニフィセント・セブン

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「荒野の7人」のリメイク。懐かしいテーマ音楽も流れます。

 昔何度も見たはずの「荒野の7人」を覚えていないものだから、オリジナルとの比較ができないが、この作品単体で見て十分面白い。さらにオリジナルを再見したくなった。ついでにさらにオリジナルの「七人の侍」を映画館で見たいものだ。

 今回の7人は人種・民族がバラエティに富んでいて、時代を反映している。これもトランプ政権だとヘイトの対象になるのかな。リーダーが黒人というのはトランプには許せないリメイクなんだろうなぁ。

 フークア監督とデンデル・ワシントンのコンビは万全だし、この二人が組むと面白い作品が生まれる。主人公の凄腕保安官役デンゼル・ワシントンが用心棒6人をリクルートしていく過程が抜群に面白い。それぞれのキャラクターが立っていてユーモラスだ。ネイティブ・アメリカンの青年をスカウトするときの緊張感もよい。彼らがなんで命がけで住民を助けようとしたのか、それぞれの理由がいまいちわからないのだが、そのわからなさがいい。「人には死ぬ場所を選ぶ自由がある」というデンゼル・ワシントンのセリフが良い。

 「七人の侍」でも「荒野の七人」でも、敵は野盗や暴力集団だったはずだが、今回は金鉱山の経営者だ。その不気味で無慈悲な強欲経営者にピーター・サースガード。この人は本当にこういう役をやらせたらうまいわー。「アメリカは自由主義と資本主義の国だ」とうそぶくところもよいわ~。資本家は自由に搾取していい、という解釈ね。用心棒7人を雇うのが若い未亡人というのも時代を反映している。昔の作品でここまで女性が目を見張るような活躍する場面はなかった。

 ガトリング銃の射程距離が長すぎるような気がするが、本当にあんなに長ったのだろうか。それにしても「悪魔の銃」には違いない。南北戦争終戦から日が経っていないという舞台設定もドラマによく効いていて、どれほど悲惨な戦争だったかが想像できる。
 決戦の日、7人のうち半数以上が死んでしまうわけだが、その死に方が一人一人個性があり、壮絶で見どころたっぷり。最後の最後まで楽しませてもらいました。

 ブルーレイの映像は意外に深みがあって、風景の壮大さもよく表れていた。

THE MAGNIFICENT SEVEN

133分、アメリカ、2016

監督: アントワーン・フークア、 脚本: ニック・ピゾラット、リチャード・ウェンク、 撮影: マウロ・フィオーレ、音楽: ジェームズ・ホーナー、サイモン・フラングレン

出演: デンゼル・ワシントンイーサン・ホークイ・ビョンホンピーター・サースガード

 

エゴン・シーレ 死と乙女

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 タイトルロールを演じたノア・ザーヴェトラのイケメンぶりに見とれているうちに映画が終わってしまった。
 物語は、寝室で瀕死になっているエゴン・シーレとその妻をシーレの妹が発見する場面から始まる。エゴン・シーレは1918年に28歳で夭折した天才画家だ。第1次世界大戦終結と前後して世界中で大流行したスペイン風邪(インフルエンザ)によって、シーレもその妻エディットも相次いで亡くなる。先に妻が亡くなったのだが、エゴンはその事実も知らずに死んでいく。この時代、人はすぐに死んでしまうのだ。せっかく戦争を生き延びたというのに、エゴンは戦後を生きることができなかった。
 その恐るべきスペイン風邪(映画中ではそのような説明はない)の場面から一転して、20歳ごろのシーレが自身の妹をモデルに裸婦像を描いている場面へと変わる。映画はこのように、何度も過去と現在を行き来する。
 モデルとなる女性に恋して何人も恋人をとりかえていくシーレは、同時に複数の女性を愛し、彼女たちを利用して好き放題に絵を描いている。天才だから許されるけど(いや、許さないよ!)、これ、普通の人がやったらもう社会から排除されるレベル。モデルに苦痛を与えるような無理なポーズを取らせて、異様とも言えるインパクトのある絵を描いたシーレは、エロスと死に取りつかれていた。 
 同じようにモデルに手を出す不埒な男、クリムトの弟子として、悪いところばかり師匠から受け継いだのか、シーレもまたモデルと関係をもつのが当然のような男だった。まあ、あれだけ男前ならしょうがないかな。やがて彼に献身的に接してくれる少女モデルのヴァリと出会って同棲を始める。ヴァリのおかげでずいぶん助けられたシーレなのに、結婚相手には中産階級の女を選ぶ。しかも結婚相手と見込んだ姉妹のどちらにも手を出しているのだから、どうしようもない男だ。
 エゴン・シーレの女性関係に焦点を当てて描いた伝記なので、彼の絵をもっと見たいというファンには少々残念な結果だったかもしれない。

EGON SCHIELE: TOD UND MDCHEN
109分、オーストリアルクセンブルク、2016
監督:ディーター・ベルナー、製作:フランツ・ノヴォトニーほか、脚本:ヒルデ・ベルガー、ディーター・ベルナー、撮影:カーステン・ティーレ、音楽:アンドレ・ジェジュク
出演:ノア・ザーヴェトラ、マレジ・リークナー、ヴァレリー・パフナー、ラリッサ・アイミー・ブライトバッフ、マリー・ユンク、コルネリオス・オボニャ

 

 

 

あさがくるまえに

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  脳死・心臓移植をめぐる二組の家族の24時間ドラマが静かに描かれる、再生と修復の物語。
 昏々と眠る若者の美しい顔がアップになる巻頭。まだ外は暗く、部屋の中もぼんやりしている。彼は恋人のベッドで目覚め、眠る彼女を置いて窓から飛び出し、地面に跳躍する。自転車を駆って軽快に走った後、波に乗って若さを堪能した彼は帰らぬ人となる。
 交通事故で脳死となる若者が最後に見た(かもしれない)広い道路と遥かな地平線の光景が波に移り変わる場面の美しさは特筆ものだ。
 脳死判定。家族が呼ばれる。臓器移植のコーディネーターがやってくる。
涙と絶望の中にあっても、意外に両親は淡々としているように見える。
 一方、もう一人の絶望を抱えた中年女性音楽家は心臓病が悪化し、死を間近なものとしてとらえていた。息子たちは心臓移植を勧めるが、他者の死と引き換えに彼女は生き延びることを選択するのだろうか。
 決して交わることのないドナーとレシピエント、二組の家族の物語が交互に映し出される。
 若者が好むテンポのいいポップミュージックが流れる巻頭と打って変わって映画の後半は、ピアノの孤高の旋律と美しいオーケストレーションが緊張感を盛り上げる。
 出演者も豪華。ロマン・ポランスキー監督の妻エマニュエル・セニエは、他の作品では妖艶な女優なのに、本作ではふつうのおばちゃん然として、息子の死を受け入れることのできない悲しい母親を好演している。事故死した若者の恋人である愛らしい少女を演じたガラテア・ベリュジは出番こそ少ないものの、強い印象を残す新星だ。
 健康な肉体がある日突然失われるという悲劇が前提となる臓器移植は、一方の極に哀しみの遺族がおり、もう一方には臓器移植に抵抗を感じながらもその希望にすがるしかない患者の葛藤がある。この映画もこの二つの極の家族を淡々と描き、脳死問題について賛否を鋭く問うことを避けて、結果的には心臓移植に賛意を示す。
 ただ、事態は粗筋を追えば理解できるような単純なものではない。若いカテル・キレヴェレ監督は美しく斬新な映像感覚でこの映画を紡いだ。理屈よりも感覚に訴え、セリフよりも表情でキャラクターに命を与えた。臓器移植が実施されるのかどうか、期限が迫っている時であるにもかかわらず、不思議なほど事態は緊迫していない。
 そして圧巻は手術の場面だ。延々と描かれる手術で映し出される大きな心臓、これこそがこの映画の中で観客に無言で語り掛けてくる力強いメッセ―ジそのものだ。
 「生者を修復する」という原題に込められたいくつもの意味をかみしめながら鑑賞したい。 
 脳死・臓器移植という、賛否が対立するテーマを扱った映画作品はいろいろあるので見比べてみるのも興味深い。名作「21グラム」(イニャリトゥ監督、03年)、「私の秘密の花」(アルモドバル監督、09年)「孤高のメス」(成島出、10年)、といったあたりがお薦め。
 ネタバレになるかもしれないけれど、ビデオリリースされたらぜひ確認したいことがある。
 「シートベルトをせずに助手席に座っていたから、脳に大きなダメージを受ける重傷となった」というセリフが二度登場するが、実際には少年は助手席ではなく後部座席に座っていたはずだ。なぜこのセリフが二度も入っているのか、謎。この場面を確かめてみたい。

 REPARER LES VIVANTSHEAL

104分、フランス/ベルギー、2016

監督: カテル・キレヴェレ、原作: メイリス・ドゥ・ケランガル、脚本: カテル・キレヴェレ、ジル・トーラン、撮影: トム・アラリ、音楽: アレクサンドル・デスプラ

出演: タハール・ラヒム、エマニュエル・セニエ

ハートストーン

 アイスランドは人口が33万人の小さな島国だ。その人口で一国を維持するのは大変だろう。主人公の少年たちは監督の自伝的要素を投影されているようだ。思春期の若者の行動は見ていて恥ずかしい。少年少女たちが2人ずつ組みになってちょっとした逸脱行動をしてみようと、親に内緒で「合宿」する場面など、なんだか懐かしくもこっぱずかしい。反抗期の子どもたちが親に反発し親のだらしなさにうんざりし、周囲の大人たちを冷ややかな視線で眺めているところは、実にリアルだ。
 アイスランドという国がどのような問題を抱えているのか、この国にはどのような疲弊が覆っているのか、それを知って見ていたらもっと深いところまで味わえたであろうが、大人たちの堕落した様子はそもそもこれが漁村の普通の姿なのか、いったいどうなのかわたしにはわからない。子どもたちには未来を夢見る希望があるのだろうか。
 巻頭の、魚を釣り上げてはしゃぐ少年たちの様子から、彼らが獲った魚を自宅へ持ち帰り、母親から邪見にされる場面まで、観客の目をぐっとつかみ取るきびきびしたカットが素晴らしい。
 ヤンチャぶりを発揮する黒髪のソールと、長身金髪の陰のあるクリスティアンという親友どうしの少年の対比が見事で、この個性が本作の最大の魅力だ。
 そしてもう一つの魅力はアイスランドの漁村の風景。小さな港、豊かな緑と低い山並み、沼や海岸といった水に溢れた環境の中、少年たちにはのびのびと駆け回る場所がある。国土は狭いけれど、少年たちには十分な広さの遊び場があるのだ。しかし、そののびのびと見える風景の中で、小さな村では人間関係が濃密に絡み合い、古い慣習から逸脱することが許されない無言の抑圧がある。
 たった33万人の全人口の中から選ばれた子役二人が抜群に素晴らしい。よく見つけたもんだ、この二人を。思春期の性の目覚めに戸惑い、気恥しさと気負いを持ち、そして他人とは違うセクシャリティに気づいて悩む親友を受け入れられない主人公ソールは監督の少年時代を映し出しているのだろう。
 途中少し緊張感が途切れてしまうのが欠点だが、「爽やかな青春映画」というのとは一味違う苦さが味わえる、心に残る作品。

HJARTASTEINN
129分、アイスランドデンマーク、2016
監督・脚本:グズムンドゥル・アルナル・グズムンドソン、撮影:シュトゥルラ・ブラント・グロヴレン、音楽:クリスティアン・エイドネス・アナスン
出演:バルドゥル・エイナルソン、ブラーイル・ヒンリクソン、ディルヤゥ・ヴァルスドッティル、カトラ・ニャルスドッティル、ヨーニナ・ソールディス・カルスドッティル・ラケル

 

ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち

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 ティム・バートンのカラー爆裂! やっぱりティム・バートンです。このおどろおどろしさ。不気味さ。異形の者たちへの愛。すべてがたいへんよろしい。
 舞台が第二次世界大戦中のイギリスというのもクラシックな感じがしてよいし、ドイツ軍の空襲を逃れるために同じ一日を繰り返す子どもたち、という設定は手塚治虫の「火の鳥」の比丘尼を思い出せる。仏教の因果応報ものみたいだね。永遠に同じ時間を繰り返すというのは拷問のような毎日に思える。わたしは「このまま時間が止まればいいのに」とかつて願ったことがあったが、それは拷問かもしれない。時は流れ、一瞬たりとも同じ瞬間が存在しないこと、それこそが人を人たらしめる根源ではなかろうか。時間の概念を所有するのは人間だけなのだから。したがって、この物語のキモは、永遠の時間の循環に閉じ込められた子どもたちがいつそのくびきから解放されるのか、というところにある。
 物語は後半、人間からモンスターに変化してしまった悪人たちを成敗するために、子どもたちがそれぞれの超能力を発揮する。そのアクションシーンがまた楽しい。しかし、残念ながら映画はその楽しさと引き換えに豊かな問いかけを失い、ユーモラスなお化け屋敷譚へと落ちてしまう。それでも最後まで十分楽しめるけれどね。 (Blu-ray

MISS PEREGRINE'S HOME FOR PECULIAR CHILDREN
127分、アメリカ、2016
監督:ティム・バートン、原作:ランサム・リグズ『ハヤブサが守る家』、脚本:ジェーン・ゴールドマン、撮影:ブリュノ・デルボネル、音楽:マイク・ハイアム、マシュー・マージェソン
出演:エヴァ・グリーンエイサ・バターフィールド、クリス・オダウド、アリソン・ジャネイ、ルパート・エヴェレットテレンス・スタンプサミュエル・L・ジャクソン

 

お嬢さん

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 劇場公開版は何か月か前に上映が終了したのだが、特別篇のディレクターズカット版が1週間限定でかかるというので、見てみた。平日の昼間なのにそこそこ入りがいい。韓国版「アデル、ブルーは熱い色」か。女同士のラブシーンの濃厚さにR18指定となりました。主人公の童顔ぶりもアデルと同じだし、かなり意識したのではないか。
 原作はイギリスの小説だが、パク・チャヌクはそれを日帝統治下の朝鮮に置いた。このこと自体にどんな意味があるのかと思わず勘繰ってしまうのは悪い癖だろうか。物語は華族の令嬢をだまして莫大な財産をせしめようという朝鮮人詐欺の話なのだが、それが三部構成で語られるうちに、誰が騙され誰が騙しているのかわからなくなる、という羅生門形式の物語。そしてその合間に描かれる強烈なエロス満載映像がパク・チャヌクの今までの路線と違うと思わせる。いや、最後は結局今までのパク・チャヌクの残酷シーンへと回帰するのだが。あー、こわ。
 巨大蛸は「北斎漫画」(1981年、新藤兼人監督)を思い出させる。この映画には日本の春画がふんだんに登場し、エロごころを刺激する。書庫、朗読、という図書館映画でもあるのだが、よゐこに見せられない図書館映画でもあるので、ちと困った。書庫の場面の壮観ぶりにはほれぼれする。とにかく美術は凝っているので、一見の価値あり。あとは、童顔のキム・テリの肉弾演技が見ものです。

THE HANDMAIDEN
145分、韓国、2016
監督:パク・チャヌク、原作:サラ・ウォーターズ『荊の城』、脚本:パク・チャヌク、チョン・ソギョン、撮影:チョン・ジョンフン、美術:リュ・ソンヒ、音楽:チョ・ヨンウク
出演:キム・ミニ、キム・テリ、ハ・ジョンウ、チョ・ジヌン

TAP THE LAST SHOW

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 水谷豊は本作が監督デビューだそうな。それにしてはよくできている。タップダンサーは本物のダンサーを起用したらしいが、彼らにちゃんと演技をさせているところが偉い。少々大げさな演出もべたな部分も全然気にならなくて、すべてはラスト24分の圧巻のタップダンス・ショーのためにあるのだから、それを楽しみに待っていることができる。 
 かつて一世を風靡した天才タップダンサーの渡真二郎はキャリア絶頂期に事故で負傷し、引退してしまった。その後は振付師として働いてきたが、酒浸りの日々だ。そんな彼に活を入れて、「バブルのころは東京に2軒、大阪に3軒の店を持っていたこのトップスも、とうとう最後の一軒の店を閉めるんや。ラストショーをあんたの演出で飾ってくれへんか。最後にええ夢見ようや、二人で」と誘いに来たのは昔からの友人で劇場トップスのオーナー毛利。
 渋々振付を引き受けた渡はただちに厳しいオーディションを始め、さらに過酷な練習でダンサーたちを選び抜いていく。さまざまな家庭の事情を抱えた5人の若きダンサーたちを厳しく指導する渡が新しい演出の夢を語っていたころ、持病の心臓病が悪化して毛利社長が倒れてしまう。資金繰りに行き詰ったトップスはラストショーを諦めてしまうのか、起死回生の策はあるのか。
 ストーリーにひねりがないというか、社長が倒れてからどうやってショーを立て直すのかがよくわからない。ろくな説明もなしに「とにかく根性で立て直しました」みたいな安易な方向に流れていたのは気になるが、そんなことはどうでもよくて、とにかくダンスですよ、ダンス。
 これは映画館で見て良かったと心から思える作品だった。この迫力は劇場でないと味わえない。タップの驚異の迫力といい、その表現力の豊かさ、そして音楽の迫力とリズムのよさ、美しさに思わず見ているわたしも身体が動いてしまうほど。エンドロールが終わった瞬間にスタンディングオベーションしそうになった(しなかったけどね)。ほんと、拍手喝采ですよ。水谷豊がちょっとええかっこしすぎと思うけど、まあえっか。

133分、日本、2017
監督:水谷豊、製作:亀山慶二ほか、製作総指揮:早河洋、脚本:両沢和幸、振付:HIDEBOH、音楽:佐藤準
出演:水谷豊、北乃きい、清水夏生、西川大貴、HIDEBOH、前田美波里岸部一徳