吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

ニュースの真相

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 見ごたえのある社会派作品。「事件」からまだ10年数年しか経っていないこと、登場人物がほぼ実名であることなど、生々しさがあるため、映画ではかなりの省略が行われている。そのため、日本の観客には説明不足で不親切な展開であり、劇場公開が短い期間で終わってしまった残念な作品だ。

 そもそもアメリカ三大ネットワークの一角を占める大メディアの看板番組で失態が起きた、ということが予備知識なしには理解できない。主人公メアリ・メイプスの手記が原作となっているだけあって、彼女の心理が手に取るようによくわかり、脚本のうまさ以上にケイト・ブランシェットの好演が光っている。キャリアの絶頂にあったプロデューサーが、大統領選挙中のブッシュの軍歴詐称事件に飛びつく。つかまされたのは偽の証拠だったのだが、軍歴詐称(兵役逃れ)があったことは間違いない、と最後までメアリ・メイプスは信じている。だが、ネットで右翼ブロガーが「文書は偽物」と断じたことが波紋を呼び、ブッシュの問題は等閑視され、「偽の証拠で大統領を窮地に陥れようとした左翼女が悪い」という非難が囂々と起きるのだ。人気アンカーであったダン・ラザーもあおりを食って降板となるわけだが、ダンとメアリの関係が疑似父娘のようでありまた強い同志愛に結ばれていて、快い。

 偽文書をCBSに送り付けた人物に「嘘をついた」と無理やり言わせようとするインタビューの光景がまるで査問かリンチのようで痛々しかった。この場面が強く印象に残っている。報道する者の自己抑制や良心と、真実をあくまで追求するアグレッシブな態度は、どちらがジャーナリストに必要な素養なのだろう、と考えさせられた。人を傷つけてまで真相を暴くことが本当に正しいのか? そして、その「些細な瑕疵」と「大きな権力の腐敗」を秤にかけたときに、後者がないがしろにされ、会社組織が保身のために身内を切っていく理不尽さにも強い憤りを感じずにはいられない。非常に後味が悪い結末だけれど、意外と爽やかなのは、ケイト・フランシェットの魅力のなせる技か。

 これもアーカイブズ映画の一つ。過去の記録の山から必要な書類を探し出す姿には、「おお、やっぱりアーカイブズって大事よね」と思わせられる。

 本作を理解するうえで、「米大統領選、情報操作とメディア 持田直武 国際ニュース分析」がとても参考になる。http://www.mochida.net/report04/9apjm.html

 ところで、FEAてなんの略? Fだけはわかったけど、EとAは聞き取れなかった。(レンタルDVD) 

TRUTH
125分、オーストラリア/アメリカ、2015
監督:ジェームズ・ヴァンダービルト、製作:ブラッドリー・J・フィッシャーほか、製作総指揮:ミケル・ボンドセンほか、原作:メアリー・メイプス、脚本:ジェームズ・ヴァンダービルト、音楽:ブライアン・タイラー
出演:ケイト・ブランシェットロバート・レッドフォードトファー・グレイス、エリザベス・モス、ブルース・グリーンウッドデニス・クエイド

 

天使のいる図書館

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 町興し映画にありがちな安易で残念な作品かと思ったけれど、どうしてどうして、図書館員がちゃんと仕事をしているところが描かれる、よい作品だ。でも主人公は変な図書館員で、あんなのは採用試験の面接で落ちるでしょとか、あんな司書がいるわけないでしょとか、なんで新人をレファレンスカウンターに座らせるのよ、ありえーんとか脳内ツッコミをしながら見ておりました。

 舞台は奈良県葛城地域にあるとある公共図書館。実際の図書館を使ってロケしているので、地元の人にはああ、あそこね、とわかるだろう。空撮で葛城地域の田園風景を映したあと、カメラはぐっと寄りながら主人公さくらが自転車で出勤する様子を映し出す。田んぼの真ん中をヘルメットをかぶって全力ダッシュで自転車をこいでいる様子はほほえましく、この主人公がとっても元気な若者であることがわかる。で、彼女はなんとレファレンスカウンターに座っているのである。確かに知識は豊富なのでレファレンサーの潜在能力は高そうだけれど、いかんせんコミュニケーションがまったくなっていない。おまけに大きな眼鏡をかけて髪を無造作に束ねているところも図書館員のステレオタイプで、思わず失笑。まあこれはコメディなんだからこれぐらいはしゃあないか。

 などと言っているうちに、一人の上品な老婦人が沈んだ表情で閲覧室のソファに腰かけている様子が目に留まる。これが香川京子なのよね。すっかり年を取ったけれど、上品なおばあさんです。おばあさんが気になるさくらちゃんは、余計なお世話を発揮して香川京子おばあちゃんが持っていた写真を見て「この場所を教えてあげます」と勝手にレファレンス。おまけに図書館外におばあちゃんを連れ出して案内してしまう。館長らしき女性はあきれた顔でその様子を見ていたけれど、特に止めるでもない。このあたりがいい図書館ですねー。既存のやり方にこだわらない。前例なんかどうでもいい。レファレンス担当が勝手に席を外して利用者を連れて館外レファレンスをしても上司は叱らない。いいんじゃなーい。

 とまあ、ここまでは図書館員のステレオタイプのおかしさと、そのステレオタイプを大胆にもはみ出す主人公さくらの変人行動で笑わせる話かと思わせておいて、実はこれ、団塊世代のロマンスものだったんですねー。この意外な展開にはびっくり。 

 主人公以外は実にまっとうな図書館員ばかりで、特に館長だか現場主任だかのベテラン女性がとてもよろしい。客扱いもわきまえていて、部下もきちんと指導する。汚れた本を丁寧に洗浄している場面にも心を打たれるが、修復方法はあれでよいのか? スプレーしているのはエタノールなのかなぁ。などと図書館員としましては、細部が気になってしょうがなかった。
 このおばあさんとの交流を通してさくらが成長していくというビルディングスロマンの典型物語なんだけれど、ステレオタイプのお話が嫌味じゃなくて爽やかなのは、図書館員の仕事や本の大切さがきちんと描かれていたことと、役者の魅力によるんだろう。小芝風花ちゃん、とってもかわいいです。森本レオさんも素敵な声は相変わらず。

 「人生のラストシーンはあの人と一緒にいたい。二人でただ笑いながらススキの野原を歩きたい」。そういう香川京子おばあちゃんのセリフには思わず涙。想いは50年経っても変わらないのだ。

 映画を観終わった後、わたくしが「夜明けの歌」を一人高らかに熱唱したことは言うまでもない。実に効果的に使われています。名曲ですよ!

108分、日本、2017
監督:ウエダアツシ、製作:露崎晋ほか、原案:山国秀幸、脚本:狗飼恭子、撮影:松井宏樹
出演:小芝風花横浜流星森永悠希、飯島順子、籠谷さくら内場勝則森本レオ
香川京子

 

ローマに消えた男

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 独特の雰囲気を持った不思議な映画。
 てっきりコメディかと思ったら意外にシリアスで、さらにはミステリアスな味付けもある、というお話。なんだか最後はキツネにつままれたような気分がした。
 野党の政治家が、スランプに陥って失踪してしまう。困った秘書は一計を巡らせ、彼の双子の兄を替え玉に仕立て上げるのだ。政治なんか関係ないはずの哲学者の兄はどういうわけか嬉々として演説を始め、すっかり聴衆の人気をさらってしまう。この人がちょっとねじの緩んだ哲学者、というところがミソなんだろうな。政治家よりも哲学者のほうが物事の本質をとらえているという皮肉か。

 25年前に別れた恋人のところに逃げ込む政治家、というのもなんだかおもしろい。しかも彼女はフランスに住んでいて、夫と子どもが居るんだよ。それでもにっこり微笑んで彼を家に泊め、仕事まで世話をするんだ。この恋人がヴァレリア・ブルーニ・テデスキ。中年の落ち着いた雰囲気を漂わせて、大変好演している。
 本音でズバズバ面白いことをいう哲学者が政治家として成り上がっていく様子は日本やアメリカのポピュリズムを見るようで少々寒くなるような状況なんだが、そこもこの映画の政治風刺という点がよくできているといえよう。こんな映画、絶対に日本では作れないね。
 最後は本当に不思議な終わり方。これ、どういうことでしょう。観客も誰もが騙されている?(レンタルDVD)

(2013)
VIVA LA LIBERTA
94分
イタリア/フランス
監督:ロベルト・アンドー
製作:アンジェロ・バルバガッロ
脚本:ロベルト・アンドー、アンジェロ・パスクィーニ
撮影:マウリツィオ・カルヴェージ
音楽:マルコ・ベッタ
出演:トニ・セルヴィッロ、ヴァレリオ・マスタンドレア、ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ、ミケーラ・チェスコン、アンナ・ボナイウート

 

2016年のマイベスト

 今日一日で映画評26本をアップしました。なんとか2016年中に見た映画の中で、これは、と思うものを掲載することができました。

 さてそこで、恒例のマイベストについて言及。

 今年も見た映画の本数が少なくて、とてもこの中から1年のベストを選べるほどではないので、あくまでわたしが見た作品の中での、わたしの好みによるベストであります。

 また、順位や点数をつけることを本意とはしていません。素晴らしい映画を多くの人に見てほしいという思いと、映画製作者にはいい作品を作ってほしいという応援の意味でのマイベストと理解してもらえればうれしいです。

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 2016年に見た映画は143本(「シン・ゴジラ」は2Dと4DXを鑑賞)、うち映画館で見たのは試写を含めて92本。51本が自宅で。今年は年末近くになってテレビを買い替えたので、ようやくブルーレイを見られるようになった。ついにブラウン管テレビとおさらばしたのであった。

<ベスト1は甲乙つけがたく、3作>
ハドソン川の奇跡
レヴェナント:蘇えりし者
レッドタートル ある島の物語

 ※完成度は「ハドソン川の奇跡」が最も高いと思うけれど、「レヴェナント」はこれぞ映画でないとできない表現に酔いしれた。劇場で見なければこれほどの感動は得られないだろう。自宅のTVモニターで見るのはお薦めではありません。「レッドタートル」はとことんシンプルなアニメ。これはもう、ある年代以上の人間の琴線に触れるとしか言いようがなく。

<ベスト10まで>
消えた声が、その名を呼ぶ
弁護人
君の名は。
この世界の片隅に
シン・ゴジラ
淵に立つ
手紙は憶えている

<番外編>
久しぶりに見直して、やっぱり面白かったので、これを特筆。
マルサの女 

<見て損はなし、お薦め映画>

ロング・トレイル! 
湯を沸かすほど熱い愛 
64 ロクヨン 前編 後編 
木村家の人びと
グローリー 明日への行進
ザ・ウォーク 
スポットライト 世紀のスクープ 
はじまりのうた 
ペレ 
リリーのすべて 
帰ってきたヒトラー 
10 クローバーフィールド・レーン 
不屈の男 アンブロークン 
スティーブ・ジョブズ 
X-MEN:ファースト・ジェネレーション
X-MEN:ファイナル ディシジョン
X-ミッション 
アイヒマン・ショー 
アウトロー 
イレブン・ミニッツ 
エンド・オブ・キングダム 
エンド・オブ・ホワイトハウス(2013)
オデッセイ
おまえうまそうだな 
カルテル・ランド 
キューポラのある街
ザ・ギフト  
サウルの息子 
さざなみ 
さよなら歌舞伎町
ズートピア 
でんげい 
にあんちゃん 
ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります 
ビッグアイズ 
ファインディング・ドリー 
ブリジット・ジョーンズの日記 ダメな私の最後のモテ期 
ブリッジ・オブ・スパイ  
ブルーに生まれついて  
ブルックリン 
ボーダーライン

マイケル・ムーアの世界侵略のススメ
マネー・ショート 
みなさん、さようなら
ミルカ 
ルーム 
ローマでアモーレ 
海よりもまだ深く 
駆込み女と駆け出し男
県庁の星
団地 
殿、利息でござる 
怒り  
二ツ星の料理人  
アーロと少年
ああ野麦峠 
キャロル 

<その他、今年見た映画>この中にもお薦め作はたくさんあり、ブログに感想を書いた。

うさぎ追いし 山極勝三郎物語
Mr.ホームズ 名探偵最後の事件
X-MEN:アポカリプス 
X-MEN:フューチャー&パスト
あーす 
アントマン
イタリアは呼んでいる
イット・フォローズ 
インサイダーズ 
インデペンデンス・デイ:リサージェンス 
インフェルノ 
ウルヴァリン
ウルヴァリン:SAMURAI
エヴェレスト 神々の山嶺(いただき) 
エクス・マキナ 
オーバー・フェンス 
オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分 
グランド・イリュージョン 見破られたトリック 
クリーピー 偽りの隣人 
クローバーフィールド/HAKAISHA 
コードネーム U.N.C.L.E.
シークレット・オブ・モンスター 
シーズンズ 
ジェイソン・ボーン 
シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ 
ジャージー・ボーイズ
スタートレック ビヨンド 
ストリート・オーケストラ 
スノーホワイト/氷の王国 
ゼロ・ダーク・サーティ 
ダーク・プレイス 
ティエリー・トグルドーの憂鬱  
デッドプール 
トラッシュ! -この街が輝く日まで-
ドリーム ホーム 99%を操る男たち
トリコロール 赤の愛
バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生 
ひだるか
ファブリックの女王 
ブラック・スキャンダル 
ヘイル、シーザー! 
ペット 
マギーズ・プラン 
マクベス  
マジカル・ガール 
マネーモンスター 
マリーゴールド・ホテル 幸せへの第二章 
リストランテの夜
レジェンド 狂気の美学
レッドファミリー 
ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー 
われらが背きし者 
愛を積む人
偉大なるマルグリット
歌声にのった少年 
花のように、あるがままに
海すずめ 
奇跡の教室 
教授のおかしな妄想殺人 
君がくれたグッドライフ 
私の少女 
傷物語1 
杉原千畝 スギハラチウネ  
世界一キライなあなたへ 
太陽のめざめ 
大統領の陰謀
追憶の森 
島々清しゃ 
僕だけがいない街 
誘拐の掟 
龍三と七人の子分たち 
薔薇の名前
蜩ノ記 

 

 

弁護人

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 ここ数年来見た韓国映画で最も素晴らしかった。後に大統領になったノ・ムヒョン盧武鉉)の弁護士時代を描いた物語。どこまでが実話なのかよくわからないが、盧武鉉が最初から人権派弁護士ではなかったことは確かだろう。彼が劇的に変わっていく様子が迫真の演技で描かれ、深い感動を呼ぶ。

 高卒で司法試験に合格したソン・ウソクは、貧しい生活の中、日雇い労働の傍らで懸命に勉強に励んで弁護士になった。学歴コンプレックスから、彼はひたすら金儲けに余念がなく、成り上がることを夢見る。周囲の弁護士に馬鹿にされながらも、不動産登記専門弁護士だの税務専門弁護士だの、名刺を作って配りまくるのだ。商才のある弁護士だったのだろう、ソン・ウソクはたちまち釜山でも最も稼ぐ弁護士と言われるようになる。本人も金が儲かることが嬉しくてたまらない。

 ようやく金が溜まったため、貧しかった7年前に食い逃げをした食堂を訪ねて謝罪し、お金を女店主に返そうとするソン・ウソクだったが、店主はお金を受け取らず、ソン・ウソクを暖かく受け入れる。その日から、ソン・ウソクは店主を「アジュマ(おばさん)」と呼んで親しみ、毎日昼食の豚汁飯を食べに通うのだった。

 時代は1981年になっていた。光州事件後のクーデータで大統領になった全斗煥(チョンドゥファン)政権は冤罪事件を捏造し、国家保安法違反の疑いで多くの学生たちを逮捕・拷問していた。食堂の女主人の一人息子パク・ジヌも被害者の一人となった釜林事件が起きる。警察当局のでっち上げにより、反政府活動家のアカだとされたジヌは、拷問を受けて嘘の自白を強要されていた。ジヌの裁判が始まろうとしているとき、食堂のおばさんに泣きつかれたソン・ウソクは、二人を救うためにさまざまな困難を跳ねのけて裁判に立ち向かうこととなった。

 ジヌが逮捕されるまでは、お気楽な弁護士稼業で稼いで上機嫌なソン・ウソクの様子がコミカルに描かれるが、ジヌが逮捕され、拷問を受ける場面からは一転してシリアスな社会派作品の様相となる。ソン・ウソクが人権派弁護士へと転身するきっかけとなるジヌの逮捕・拷問は、ソン・ウソクにとって大きな衝撃だったのだ。明らかな拷問の痕を見て、ソン・ウソクは怒りに身を震わせる。そこから懸命の弁護が始まるのだ。

 ここからの法廷劇は手に汗握る展開となる。見事なソン・ウソクの弁論は、時に裁判長を恫喝し、時に同僚弁護士からの非難も浴び、検察には睨まれることとなる。一旦引き受けた事件を決して諦めることなく、ソン・ウソクはジヌの無罪を証明すべく着実に反証を積み上げていく。しかし、決定的な拷問の証拠が見つからない。とうとう最終弁論の日がやってきた。

 ソン・ガンホの熱演は、この法廷劇でクライマックスを迎える。これほど胸のすく弁護もなかろう。法廷に出ることもない弁護士だったはずが、堂々と検察と渡り合い、裁判長に詰め寄る。彼を変えたものは何だったのか。それは、いま目の前にいる若者とその母親を救いたい、その一心だった。ソン・ウソク弁護士は決して社会主義思想や反政府思想の持ち主ではなかった。彼を動かしたものは、世話になったアジュマと、その息子への恩義と愛情だったのだ。
 「岩に卵をぶつけても卵が割れるだけで岩はびくともしない。権力に立ち向かうのは無謀で無駄なことだ」と言うソン・ウソクに対して、ジヌが語った言葉が胸に響く。
「卵はやがて孵り、鳥となって岩を越えていく」

 事件の顛末はその後どうなったのか、ジヌはその後どのような人生を歩んだのか、知りたくてたまらなかった。その後、ソン・ウソク弁護士ならぬ盧武鉉は大統領となり、やがて辞任後に身内の不祥事などを苦にして自殺してしまう。その後の歩みを重ねてみるとき、この映画で描かれた弁護士は後の大統領と必ずしもイメージが一致しない。その断絶もまた知りたいものだ。

 この映画は、人が与えら得れた状況の中で変わっていくこと、変わることができることを深い感動を以て描いた。心に残る作品だ。

THE ATTORNEY
127分、韓国、2013
監督:ヤン・ウソク、脚本:ヤン・ウソク、ユン・ヒョンホ、撮影:イ・テユン、音楽:チョ・ヨンウク
出演:ソン・ガンホ、キム・ヨンエ、オ・ダルス、クァク・ドウォン、イム・シワン、ソン・ヨンチャン、チョン・ウォンジュン、イ・ソンミン、イ・ハンナ、リュ・スヨン

 

湯を沸かすほどの熱い愛

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 湯を沸かすほどの愛っていうのは、銭湯が舞台になっているから。主人公は宮沢りえが演じる銭湯の女将さん。夫が一年前に突然蒸発し、そのまま銭湯は休業状態にあって、しかも娘は高校で虐められていて、その上自分は突然医者に余命2か月を宣告される。もうこれ以上ないというぐらい問題の多い不幸な家族。しかし、探偵の力を借りて蒸発した夫を見つけ出した。だらしない夫は若い女に産ませたらしい娘を連れて銭湯に戻ってくる。ここからが宮沢りえのど根性母さん物語が涙なしには見られない、という展開。痩身の宮沢りえがそのまま病人の役を演じられるというのがすごい。

 ストーリーが前に進むにつれて、この家族はみんな誰かに捨てられた人ばかりだということが明らかになる。自分が捨て置かれた人間だという傷を負い、苦しみながら生きている者たちが家族となり、懸命に今の状態から脱しようともがきあがき、そして愛を深めていく。

 だらしなくて頼りない夫役のオダギリジョーははまり役だし、子役たちの熱演も素晴らしい。中野量太監督はこれが事実上の長編デビューとは思えない、落ち着いた脚本と演出で観客を飽きさせない。少々やりすぎという場面もちらほらとはあるのだけれど、その軽いコメディタッチの部分もまた、重くなりがちな話に仄かな明かりを灯す。

 舞台となる銭湯の古さがたまらなくいい。今どき薪で沸かしますか! これはラストシーンの伏線でもあったのだな。ヒッチハイクで拾った青年とか、多少無理のある設定がマイナス要因ではあるが、素直に感動してしまうのは、宮沢りえ扮する母が決して諦めない前向きな、そして愛にあふれる女性だからだ。彼女が「死にたくない。生きたい」と泣き崩れるシーンは本当につらかった。

 家族の愛情や絆が必ずしも血縁によってもたらされるものではないことを描いている点も、わたしの琴線に触れた。父だからといって愛せるわけではなく、母だからといって懐かしいわけでもなく、でもやっぱり肉親の愛を渇望する人々の心が切ない。役者たちからいい演技を引き出した中野監督には何か賞をあげてほしいと思ってしまった。

125分、日本、2016
監督・脚本:中野量太、エグゼクティブプロデューサー:藤本款 福田一平、撮影:池内義浩、音楽:渡邊崇
出演:宮沢りえ杉咲花、篠原ゆき子、駿河太郎、伊東蒼、松坂桃李オダギリジョー

 

偉大なるマルグリット

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 巻頭、美しいソプラノやメゾソプラノや二重唱の天使の歌声が聞こえてきてうっとりしていたら、突然マルグリットおばさんの超絶音痴な歌声が響いて目が覚める。

 いやもう、これは天才的な音痴です。どうやってこんな風に音が外せるのか知りたいわ(笑)。

 1920年のフランスで、大富豪の奥方が金に物を言わせて爵位を買ったという。彼女は男爵夫人の地位を得て、第1次世界大戦によって大量に生まれた孤児を助けるためのチャリティーコンサートを開く。社会事業のために熱心に寄付を募る彼女に周囲の金持ちたちはお義理で拍手をするが、その歌にはうんざりしていた。
 実は一番うんざりしていたのはマルグリットの夫なのだ。だから、マルグリットが邸宅で歌う時にはわざと遅刻するために自動車に乗り、「途中で車が故障したので帰宅時刻に間に合わなかった。修理したんだけどね」といって、油で汚れた手を見せる。

 音楽を愛するマルグリットは一日4時間も歌の練習をしているのに、驚異の音痴は治らない。それはそうでしょ、独学だから。その音楽への愛は片思いにすぎないという悲しさ。夫には愛人がいて、マルグリットには見向きもしないという寂しさ。マルグリットの写真をひたすら撮り続け奉仕する黒人執事の切なさ。マルグリットの声楽教師に雇われた歌手の狡猾さ。マルグリットの周囲に渦巻く人々の深くて暗い思いが混とんと混ざり合い、得も言われぬ不思議な空気を生み出している、濃ゆい映画だ。コメディなのか、シリアスドラマなのか、ゴシックホラーなのか、その独特の味付けに深い悲哀を感じる。

 マルグリットはなぜ歌ったのだろう。彼女は自己実現のためではなく、夫の愛に飢えて歌っていた。それは近代的自我に目覚めた女性の業(わざ)ではなく、愛する人に振り向いてもらいたい一心の、幼児のような求愛行動なのだ。フロイトラカンならなんというだろう。まだ口唇期の女性だと看破するだろうか。

 暗い室内の撮影に深い陰影ががあり、独特の雰囲気を醸し出していて、わたしはこの撮影と照明に魅せられた。
 この作品のもととなった実話を描いたアメリカ映画「マダム・フローレンス」をぜひ見比べてみたい。(レンタルDVD)

MARGUERITE
129分、フランス、2015
監督:グザヴィエ・ジャノリ、脚本:グザヴィエ・ジャノリ、 マルシアロマーノ、撮影:グリン・スピーカート、音楽:ロナン・マイヤール
出演:カトリーヌ・フロ、アンドレ・マルコン、ミシェル・フォー、クリスタ・テレ、ドゥニ・ムプンガ、シルヴァン・デュエード